天国へ行く為に。

天国は死ぬことと見つけたり。

悩んでいたあの頃と悩まなくなった今は一体何が違うだろう。

記事を書くのは1年ぶりと少し…ですか。

 

こんにちは。死に起きです。

 

もう全然記事更新してないのに、過去の記事に共感してコメントしてくださる方もいて、本当にありがたく、同時に驚いています。(コメントまだ返してなくてすみません記事書き終わったらすぐ返信します)

 

ネット上に自分の悩みの答えがあるのではないかととにかく検索しまくることってありますよね。

僕もそうでしたし、こんなほっっそぼそと書かれた記事に来るということはコメントくださった方もそうだったのではないでしょうか。

 

誰かが共感してくれたということは、僕も共感できたということ。

記事を書いていた当時の僕にこんな優しいコメントが届くことを教えたら、きっと救われたことでしょう。

 

 

 

 

急な記事の更新ですが、特に理由はありません。

ただ、コメント貰って自分の記事を読み返してみてこう思ったんです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

うわあ俺すげぇいっぱい文字書いてる

 

 

 

 

 

 

いや他の人の記事とか見るとこんなの足元にも及ばないくらい大量に書いてるんですけど、

実は僕最近全然文字書かなくなったんですよ。

 

いやもともとあまり発信とかするタイプではないんだけど、最近は本当にそれが顕著。

仕事上そうなっちゃうって言ってもいいのかな。

 

 

僕は今動画編集のバイトをやっています。

といってもテレビみたいにいっぱいテロップ出したりとかはなく、本当に簡単な仕事で、正直これでお金もらえてるのはありがたいとしかいいようがないです。

なので編集中も文字を打たず、メールなどもほとんどないです。

周りとの意思疎通は軽く口頭で伝えて終わり。

故にそこまで論理的に組み立てる必要もなく、正しい言葉遣いもほぼ使っていない…

 

 

 

…なんというか、就活のときは哲学書読んだり、悩んで悩んで、ウンウン唸って、

頭の中に文字列がバーっと駆け抜けていって眠れないときとかもあったのに。

 

 

 

今ではなんだか、考えることが減ってきたように感じるんです。

 

 

 

 

 

◆考えてないから、感動してない。

 

 

例えばですね、以前こんな記事を書きました。

 

go-to-heaven.hatenadiary.com

 

 

………………(再読中…)

 

 

 

結構面白いなこの記事!!(自画自賛

 

 

 

この記事を書いたときの僕はPADSにかかってたのかなぁ?ダンガンロンパやったのはもっと前の話だったと思うけど…

 

PADS(アニメに限らず作品が終わったあとに感じる喪失感をこう呼ぶことにする)にかかるってことは、結構深くまでその作品に浸かってる必要があるんだよね。

 

映画とかは短すぎるからPADSにはなりづらい。

長編漫画の一気読みや、ストーリー性のあるゲームなどが引き起こしやすい。

 

 

んで、さっきふとこう思ったんですよ。

最近PADSになってないなぁ って。

 

 

きっかけは最近僕がハマってるこのゲームのせいですね。

 

fire-emblem-heroes.com

 

 

僕はファイアーエムブレムが大好きでして。

一時期飽きたこともありましたが今ではデレステをアンインストールしてこちらをやりまくる始末。

っていうか今日のニンダイ、ファイアーエムブレム風花雪月の情報なかったんですけど??????

 

 

このゲーム、ゲーム性がすごく好きなんですよ!

簡単に説明すると狭いマス目のチェスみたいな感じで、駒それぞれがスキルを持っててそれを利用して戦うというものです。

 

ただね、まあ今日もアップデートされて新ストーリー追加されたんですけど、

 

 

ストーリー全然面白くなかったです。

 

 

いや、わかってます。

このゲームはあくまでゲーム性に重きを置いている。

ストーリーはあくまでおまけみたいなもので、無料のゲームにそこまで求めるのはあまりに酷すぎると。

 

でも、ストーリー見たあと思っちゃったんです。

つまんなかったなぁって。

 

僕、ストーリー見て「つまんなかったなぁ」って、なかなか思わないですよ。

ゲーム性に飽きてすぐアンインストールするゲームは数あれど、ストーリーでこう思ったって、僕の中ではなかなか衝撃で。

別に特別何が悪いってわけじゃなかったんですけどね。

だからゲームを貶めることは言いません。そもそも好きなゲームだし。

 

 

でもこの感想から、「PADSになってねぇなぁ、なりてぇなぁ」って思ったんです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◆思ってるよりも言葉から遠ざかっていた自分に気づく。

 

僕にとって、感動というのは物語です。 物語とは、文章で構成されるものです。

つまり最近感動してないってことは、文章に触れてないってことなんです。

 

 

正直全然自覚がありませんでした。

 

でも考えてみれば、僕は空き時間にCGの勉強をしているのですが、CGの制作に文章って入りませんし、

英語の勉強もしているけれど、それも簡単な英語をすぐに言えるようにする練習をしているだけなので文章に触れているとは言い難いかなと…。

あとは週5で筋トレしてますけど、まあ筋トレしてるときは何も考えてないので言わずもがな。

 

 

そしてめっきり本も読まなくなりました…

テレビで林修先生やメンタリストのDaigoが読書の素晴らしさを語っているのを見ると、すごく申し訳ない気持ちになってしまう…。

 

 

そんな感じであまりにも文章に触れてない自分にびっくりして、「ちょっと久しぶりに文章を書いてみようかな」なんて気持ちで久しぶりに記事を更新したというわけです。

 

でもぶっちゃけここまで書いて、相当構成めちゃくちゃだなって思ってます。

 

あーでもやっぱり文を書くって頭使うなぁ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◆今の僕は、あの頃ほど悩まなくなりました。

 

 

 

コメントをくださった方は、こんな記事を見て失望したかもしれません。

 

みなさんの共感は「思慮している僕」に対してされているように思えたので、

『最近は考えなくなっちゃいました、めっちゃ筋トレしてます』なんて言われたら

「あのとき悩んでたお前は何やってん!!!」ってなりますもんね。

 

 

でも正直に言うと、僕はあの頃からだいぶ変わってしまいました。

この先の人生を、あまり悩まなくなってしまいました。

 

 

「とりあえずこれをやって生きていこう」と思えるもの、なんとなくであっても、僕はそれを見つけてしまったからです。

 

 

さっきも言いましたが、僕は動画編集の仕事をしていて、合間にCGの勉強もしています。

できることなら、映像業界でやっていきたいと思っています。

正社員として映像業界に揉まれるでもなく、独学でやっているだけなのでやる気としては褒められるところまで言っていないかもしれませんが、

もうこうなってしまうと後戻りできないので、これをやるしかないんです。

 

僕は今25です。

若いとは言えなくなってきました。

でも、もう遅いとも嘆くほど諦めきれる年でもないんです。

 

 

 

僕は確かな決意があってこの道を選んだわけではありません。

 

就活失敗してニートになったとき、たまたまコラ画像を作って遊んでて、

じゃあPhotoshop使う仕事なんかどうかななんて軽い思いでバイト応募して、

そこで初めてPhotoshopとPremiere(動画編集ソフト)触って、

数ヶ月して辛くなって辞めて、

今の会社に入って、

一年ほど経ちました。

 

なんとなく流れていたら、こっちに島が見えるな、たどり着けるかわからないけど他の島より近いから泳いでいってみようかな、みたいな感じなのです。

 

 

 

CG制作のために新しいパソコンを買いました。

高い買い物でしたが、後悔は何一つしませんでした。

 

パソコンを買ってから金がほしいと思わなくなりました。

パソコンが手に入ったので、もうこの他に必要なものなど衣食住代だけだと思いました。

もとからインドアでしたが、勉強のためにもっと出かけなくなりました。

 

 

 

悩まなくなったということは、正しい道を見つけたということではありません。

数多の選択肢の中から、「これはどうかな…?」と少し手を伸ばし、「とりあえず今はこれをやるしかないか」と多少の諦めと共に歩き出したということです。

 

それに、全く悩まなくなったわけではありません。

何度か振り返ることはあります。

 

あの道を選んでいたらどうなっていただろう、もっといい人間になれたかな。

もっと家族を幸せにできたかな、なんて。

 

 

「後悔するな」「過去を振り返るな」

こんな言葉をよく聞きますが、僕はそんなことは無理だと思いますし、別にいいんですよ。

 

たまに振り返りましょう。そしてその都度諦めましょう。

諦めきれなければ引き返しましょう。そこまで行って引き返せる勇気があるのならきっと出来ます。

 

 

 

哲学本ももうあまり読んでないですが、かといって哲学から完全に離れる気はさらさらないですよ。

 

今でも生きる意味は考えます。

別に筋トレや映像制作が生きる意味だとも一切思ってないです。

 

 

でも、続けられるものができたなら続けてみよう。

少なくともこれらによって損することはないだろうと思うから。

 

 

 

 

なんだかよくわからない終わり方ですみません。

また何か批判でも共感でもコメントいただければ幸いです。

 

 

ちなみに東京オリンピック終わったらすべてを投げ出して海外に行こうと思ってます。

口だけで終わるかもしれないけどね。

でも「所詮この世は只の夢」っていう考えは………ああ、それはあの頃と変わってないですね。

 

良かった。

 

 

 

ここまで読んでいただきありがとうございました。

 

 

 

胡蝶の夢 - Wikipedia

 

水槽の脳 - Wikipedia

 

邯鄲の枕 - Wikipedia

 

洞窟の比喩 - Wikipedia

死んだ人間は喜ばないし悲しまない。

葬儀というのは、やる意味があるのかあまりわからない。

 

まず、なんであんなに悲しみを誘うような演出をするのか。

 

儀式は区切りをつけ、前に進むためのものとはいうが、むしろ儀式のせいでダメージを受けている気がする。

前向きならもっと前向きな葬り方があるのではないか?

 

 

次に、死んだあとでいきなり悔やむってのも筋が通らない。
それなら生きている間にもっと色々できたはずだ。
正直、僕は祖父と祖母に孝行なんてしていなかった。そんな僕が死んだあとでいきなり偲ぶなんてのも虫のいい話じゃあないか。

 

仮に祖父、祖母がこの先10年生きていたとして、どれだけの時間会ったというのだろう。会ったとて、うちどれほどが自発的に会いに行ったものだろう。
今とそう変わらなかったのではないだろうか。なのに死んで偲ぶのか?なんて欺瞞だ。

 

知っている人の死体をわざわざ見たくない。
次の祖母の葬式は出たくない。葬式でお別れしなきゃ悲しむなんて、だったらお別れする前に会えばいいだろう。

 

僕は当たり前のことだと思ってるのだが、死ねば意識なんてない。そうだろう?

死んでからも話せば伝わるっていう考えをなぜみんな持てるんだ?それはただの自己満足に過ぎないか?


つまりやるべきことの先送りにほかならなくないか…?

 

 

死んだ人間は喜ばないし悲しまない。

感情があるのは生者だけだ。

 

 

それをなぜか勘違いしているから、生きている間に大事なことを伝えない。

物事はシンプルに考えるべきだ。唯物主義の思考こそが的確な行動を作り出す。

 

 

「常々… 逆だと思っていたんだ…

通夜のことさ

死んでからみんなにワラワラワラワラ集まってもらったって 死んだ当人には何が何やらわからぬ

せっかく集まってもらうなら 死ぬ前だ……!

死ぬ前に会い… 話があるなら… 話しておくべきだ……!」

「天 天和通りの快男児」 赤木しげる

 

 

仮に、死ぬ前に会って話したとて、僕は故人の喜ぶような話はできなかっただろう。
なぜなら大抵の大人は社会的価値を最重要視するからだ。正社員で働いてるとか、婚約したとか。

僕にはそういう浮いた話が何一つない。
話せばむしろ失望させるだけだったろう。

 

そうなると僕のできる孝行とは、もはや嘘しかない。
「正社員でバリバリ稼いでるよ!」
「この前旅行に行ってきてさ!」
「すっごく可愛い彼女がいてさ!今度結婚するんだ!」

ああ、もう、想像しただけで情けなくなってくる。

僕は僕の生きたいように生きているが、それによって親や祖父母を喜ばせることはできない。

 

…いや、そもそも行きたいとおりに生きていけてもないのかもしれない。

 

こんだけ葬儀ディスっておいて、前まで葬儀屋で働こうと思ってたなんて、笑わせる。

 

 

 

家族の中では最も不孝者になるかもしれない。儒学(特に孟子)の教え的には最悪である。

悪いとは思う。すまないとも思っている。

 

しかしそれでも、謝りたくはない。

謝る気持ちで自分の道を優先したくはない。

 

そこは毅い気持ちで僕の意志を優先する。

もちろん、余裕があれば周りにも目を向ける。

できることなら周りを皆幸せにできれば最善だろう。

 

 

それでもやっぱり。

行きたいように行かせてくれ。

生きたいように生かせてくれ。

逝きたいように逝かせてくれ。

 

それがきっと、すべての人の願いだろう。

 

ネット民が叩くことに「やり過ぎ」って言うの、もうやめない?

インターネットはとても怖いところです。

 

ネット民の標的になれば、すぐさま本名、学校名、住所、その他諸々を拡散されてしまいます。

ネット民の迅速な行動力、調査能力には感嘆せずにはいられません(標的が情報を垂れ流している場合が多いが)。

 

そしてこの様なことが起こると、必ずと言っていいほどこんな議論になる。

 

 

「やりすぎだろ!インターネットだからって何でもしていいわけじゃない!」

「何言ってんだ、こいつのしたことを考えれば当然だろ。徹底的に叩け」

 

 

う~ん、ほんとパターン過ぎて食傷になるほどです。どれだけやれば気が済むのやら。

今回の野球少年のアレでも同じようなことが起こってますね。

 

 

 

 

ええ、もうキレイなほどにパターンです。

 

でも僕としては、どうしても双方主張の軸としている部分が的はずれな気がしてならないのです。

 

 

 

◆罪の大きさは問題ではない

 

このお二方は、標的が「どれだけ悪いことをしたか」に重点を置いているように思えます。

前者は、

「彼は悪いことをしたが、住所を晒されるほどではない。」

後者は、

「どう考えても住所晒すほど悪いことをしている。」

 

 

 

と言った感じですが、僕は思います。

そこ別にどうでもよくない???

 

 

例えば、麻薬密売人がTwitterにいたとします。

「今日も頑張ってクスリ売ってきた!客の人とめっちゃ仲良くなったはwwww」

なんて写真付きでツイートしてたりしたら、その人の住所を晒すのはオッケーなんですか?

 

じゃあ援交しているJKとオヤジは?

裏口入学した生徒は?

信号無視をした若者は?

タバコをポイ捨てしたジジイは?

床で座っているギャルは?

 

 

……えー先に言っておきますと、私がいいたいのは

「どんなことをした人でも住所を晒してはいけません」ということ

 

 

 

ではないです。

 

 

 

そんな陳腐な優しい善良な市民の言葉なんて言いたくありません。

僕が言いたいのは、「良い悪いなんて人の感情で決めているいい加減なもの」だということです。

 

 

 

さっきツイートを見て下さい。

あの人達が言っていることって、超簡略化すれば、

「私は許せる!」「僕は許せない!」なんて言ってるだけなんですよ。

 

哲学者のヒュームは、「何が正しいかを判断するのは理性によって行われる」という合理主義の考え方を否定していました。

 

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mukankei961.blog105.fc2.com

 

 

そう。元々善悪なんて存在しなくて、人間はみんな感情で良いだの悪いだとと決めつけているだけなんです。

本当はそんなものありっこないのに。

 

 

ですから良い悪いなんてそもそもどうでもいいし、だから住所を晒すことが良い悪いというのもどうでもいいです。

 

 

 

◆例え悪事を成さずとも晒される可能性はある

 

今回の野球少年は悪事を為したから晒されているのだと思うかもしれませんが、それは違います。

 

悪事を成さなくても、僕たちは常に晒される可能性があるんです。

まずこのことをわかってないといけない。

 

やろうと思えば簡単に出来てしまうんですよ。僕でも出来ます。

だって今のSNS情報晒しまくってるやつばっかなんだもん。(僕も例外じゃない)

 

自分の部屋から撮った外の写真ツイートしてたり、学校名晒してたり、そもそも本名でやってたりしたら、誰だって特定できますよね。

じゃあなぜやらないのかって言われたら、やったって面白くないからです。

 

「このアカウントの住所はここです!」っつったって「いやそいつ誰だよ?」って誰も興味引かない。だからやらない。

 

やらない…けど。

やらないけど、やられても別に不思議じゃあないですよね。

 

そりゃあやった人の意図は不明ですよ。

でもこの世の法則的には可能なのは確定的に明らかです。

 

 

ですから今回の出来事も、良い悪いじゃなく、ただ起こったってだけですよ。

蛇口を捻れば水が出ます。ボールを投げれば転がります。人が歩けば前に進みます。SNSに個人情報を書けば晒されます。

ボールが転がるのを良いとか悪いとか言いませんよね。ただ「起こった」だけなんです。

 

 

もうこんな当たり前のことを良いとか悪いとか不毛なこと言うの止めましょうよ。

それよりもみんな、哲学しようぜ。

運営に文句を垂れる無課金勢は想像力が足りないよ。

最近、ゲームの料金に対して「高い!」と文句を言う人が多いように思える。

 

 

 

例えば、この間リリースされたスーパーマリオラン。

1200円の買い切り価格が賛否両論でした。

 

中にはお金払わないとピーチ助けに行けない時代になってしまった」などと言う人もいたそうな。元からそうなんですが。

 

 

 

また、Nintendoの最新ゲーム機「Nintendo Switch」も税別29,980円で高いという声を聞きました。

WiiUがベーシックセットで税別25000だったので、それに比べて、ということなのでしょうか。

 

 

 

そして今日、アイドルマスターシンデレラガールズスターライトステージ(以下デレステ)においても高いと言われることがありました。

それがこちらです。

 

 

このゲームはリズムゲームなのですが、3Dモデルのアイドルが歌って踊ってくれます。

この3Dモデルがそれはもうスゴイ出来で、あまりこのゲームに興味ない人でもMVを見ると驚かれることが多いです。

一応動画載せておきますね。

 

 

www.nicovideo.jp

 

 

アイドルはノーマルやレア、スーパーレアはデフォルトの衣装で統一されているのですが、SSRという最高レア度のアイドルを引くと、そのアイドル専用の衣装をゲットできるのです。

ですので期間限定のSSRアイドルが出てしまえば、「金!払わずにはいられないッ!」となってしまう人も出てきちゃったりするわけです。

 

 

 

 

さて、デレステは今まではスマホゲーよろしくガチャシステムで新衣装が手に入れられていましたが、今日は購入できる新衣装が出てきました。

SSRのように特定のアイドル専用のものではありませんが、特定のユニット専用の衣装

 です。

 Snow Wingsという歌を歌っている5人だけが着られるものですね。

 

 

肝心のお値段は、有償スタージュエル2500個。大体3000円相当です。

「有償」とついているのは、ゲーム内で手に入れた無償のスタージュエルではなく、課金して手に入れたスタージュエルじゃないと買えないってことなんですね。

 

 

 

さあだいたい予想はつきますが、これに反発するユーザーも出て来る。

ここに反発している人たちのツイートを貼るのは気がひけるので、上のツイートのリプライ欄を見て下さい。

そして見ればわかりますが、文句を言わず感謝をしている人も確かにいるのです。

 

 

 

 

しかし、どうしてこんなに「高い」と言う人、「安い」と言う人で分けられるのだろう?

やっぱり文句を言う人の給料が少ないとか思われるかもしれないけど、本当にそうなのでしょうか?

何処かの偉い人が調査してくれれば面白いのになぁ…

 

 

 

…さてここから僕が言うことには全く根拠がありません。

実際は違うかもしれないし、違ったとしても僕は謝らない。

ただの僕の感想をいいます。

 

 

 

 

「高いと言う人」、「安いと言う人」。

この二種類の人間は、全く別の基準から判断している。

 

 

 

 

 

 

そもそも安いだの高いだの言うのは、何かと比較しているから言える言葉ですよね。

身長の大きい人は、自分あるいは平均身長よりも大きいから「大きい」と言われるのであって、この世にその人しかいなかったら大きい小さいは判断できません。

 

 

では彼らは何と比較して高い安いと言っているのか。

 

 

・高いと言う人

 やはり一番わかり易いのは、自分の持ってる金の量ですよ。

自分の月収のうち、娯楽に使うのはこれくらい。その「これくらい」を超える値段のDLCを実装しやがる!高い!ただで買えるようにしろ!!!と言っているように僕は聞こえる。

 

 

・安いという人

 ではこっちの人は何と比較しているのか?

それは、その商品を作るために必要な労力です。

 

実際に今回の件で考えてみましょう。

 

 

デレステ運営が実装したのは、一つの新衣装です。

これを作るのがどれくらい大変かは作った人にしかわかりませんが、出来はSSRの固有衣装と同じくらい良いものです。

 

ですから、SSRの衣装を作る労力=今回の新衣装を作る労力であると言っていいでしょう。

 

では、SSRの衣装はどれだけ課金すれば手に入れられるでしょうか。

上述した通りSSRはガチャで手に入れるシステムですが、SSRが当たる確率は1.5%です。

一回ガチャを回すのに必要なスタージュエルは250個。10連で2500個。

 

もうおわかりだと思いますが、10連一回引くのと新衣装を買うのは同じ金額なんです。

 

 

 

 

ここで質問です。

あなたは、100%ドレスが買えるお店と、同じ金額を払って15%の確率ですか買えないお店、何方で買いますか?

 

 

当然、前者ですよね。

 

 

通常、15%の確率でしか手に入れられないものを、100%の確率で手に入れることができるんですよ?

 

 

 

 

 

 

安いでしょ!!!!!!!

 

 

 

 

 

 

 

逆に言うとですね、運営側からすれば、一つの衣装作る労力でもっとお金が稼げたかもしれないわけです。

だってこんなにスマホゲーにガチャ文化が根付いているのは、それが買い切りより稼げるってわかってしまったからでしょ。

だとしたら、全ての労力をガチャに回した方が目先だけ見れば得策に思えます。

 

 

でも、ガチャだけじゃなくDLCまで実装する。

そういういろんなことにチャレンジしているから僕はこのゲームに全然飽きないんです。

 

……………

_________________________________

 

 

 

僕が言いたかったのは、相手の立場に立ってものを考えることは正確に物事を捉えるために必要だよね、ってことです。

 

本当に文句を言っている人が相手の立場に立って考えてないかは知りません。

でも、「無償で買えるようにしろ」なんてリプライ送っている人間が相手の立場に立って考えられる人間だとは思えないんですよ。

想像力が……

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お金を払う行為は、相手のしてくれたことに対するお礼です。

金を払うとは、相手が消費した労力に対して敬意を表するということです。

 

運営に暴言を吐く人間は、コンビニで店員に怒鳴る親父となんら遜色ないということをどうかわかって頂きたい。

 

 

デレステ、これからも進化が楽しみです。

ずっと新しいことにチャレンジしていって下さい。応援してます。

 

 

 

 

そしてこんな駄文を書いてしまったので詫び課金します。

自分がゼロだということ

僕には具体的な技術がない。

大学に行けば身につくと思っていたが、それはただの勘違いで、卒業するだけだと何も見につかないのだと知った。

 

僕がこれからの人生で手に入れるべきものは、「実績」「自信」「自尊心」である。

自分の価値を自分で構築していかなければならない。

大学卒業時点で、僕には価値など何もない。

だから面接で何も語ることも出来ない。

 

0だ。

ただ幸いまだ若さというものがある。

だから若さがある今、どこかで自分の価値を育まなくてはならない。

 

単身…徒手空拳…

 

「お前はなんでも出来る」と友人に言われた。

そいつは正社員だが、現在に納得していないようだ。

 

別に、フリーターだってなんでも出来るってわけじゃない。

でも、そういうふうに思って飛び込んでみようっていう気持ちにはなった。

 

なんでも出来る。

なんでも。

 

【雑話】特に考えてないけど書く。

特に何もない。

 

今書いてるこの記事のことだ。

僕は特に何か書こうと思ってはてなブログを開いたわけではない。

ただ、なんかもやつくので手癖で書いてみようと思ったまで。

ついさっきまではコミュニケーション能力についての記事を書いていたが、途中書き方がわからなくなり、気分も乗らなかったので中止した。

思えば最近、「これを終わらせるまで絶対やめない!」と言うような気概を持つことがない。

気分が乗ればやり、気分が乗らなければやらない。

そこには苦痛がなく、達成感もない。

別に僕はこれでいいとは思っているのだけど、なんとなく人間としてダメな気がする。

逃げぐせというか、辞めぐせというか、そういうのがついてしまうだろうか。

 

闘っていない。

闘いたくない。

闘わなきゃダメだろうか。

この先後悔することになるだろうか。

 

どうすればいいかわからなくなったときは、このように文章を書くか、本を読むかのどちらかをすることにしている。

そのときによって、インプットするべきかアウトプットするべきかが違う。

今は恐らくアウトプットの方なのだろう。

 

こういう状態で書く記事はもう支離滅裂で意味のないものとなる。

普段考えながら書いていても滅茶苦茶なところがあるから手癖でかけばそらこうなる。

頭に浮かんでくるものをただ出力するだけのマシンと化している。

 

そして、ここまで書いたら何も出てこなくなってしまった…アウトプットは間違っていたかもしれない。

 

・・・・・・

 

Twitterに書いたことは、自分の事を知る重要な手がかりになると思う。

だから、一応他のブログの方ですべてのツイートを自動で記録してくれるように設定してある。

 

しかし面倒くさがりな僕は、全然見ていない。

いつか読まなければ、と思うのだが、どうにも面倒くさい。

きっと読んでも面白くないものだろうしな…

 

・・・・・・

 

ダメだ。

本当に何も出てこない。

この記事を公開する意味もわからない。

 

またこうやって気分で何かを辞めてしまうのだ。

【小ネタ】なんで面接の練習って茶番に感じるの?

就活で茶番に思うことの追記なんだけど、「面接の練習」ってかなり茶番っぽく感じる。

これ、なんでなんだろう?

 

例えば、仕事でプレゼンをすることになったとするならば、練習は必須。それは茶番じゃない。

舞台をやることになった。台詞の練習をするのは必須。茶番じゃない。

 

でも、面接の練習…?

なんだろう、決まった台詞を言う場じゃあないから?

自分のことを話すのに練習をしなければいけないから?

 

う~んイマイチピンと来ない。

 

誰か分かる人教えて下さい。