就活で”人間力”って言葉を使うのはもうやめろ!!!
就職活動において”人間力”という言葉は耳にタコが出来るほど聴く。
それまでは全然聞いたことのない言葉であり、就活が終わればまた全く聞かなくなる言葉である。
この言葉、聞きはするけど結局何なのかはよくわからない。
が、よくわからない故にこの言葉は本当に危険なのである。
◆定義されていないものを基準とする就活
取り敢えずネットで人間力を調べてみると、こう出てきた。
人間としての総合的な魅力出典
人間のあらゆる能力のうちの本質的部分、すなわち人間の本質力出典
・・・・・相変わらずわからん。
しかし、わからなくて当然だ。
だってこの言葉はハッキリ定義されている言葉ではないから。
”猛暑日”という言葉はハッキリと定義されている。
日最高気温が35℃以上の日のことだ。
”そうめん”という言葉も定義されている。
主原料に小麦粉と塩を使い乾燥させた「乾めん類」について「機械製麺の場合、長径1.3ミリメートル未満のものが『そうめん』」だ。(1.3ミリメートル以上1.7ミリメートル未満が『冷や麦』)
対して人間力は数値とか具体的な有無とか、そういうものが存在しない。
なんとなく想像できるから適当に名付けた言葉であり、想像する先も人によって異なるだろう。
しかし就活では「弊社は人間力で判断します!」と、曖昧な言葉を採用の基準にしている。
これに対して一つも疑問に思わないのであればそれはかなりおかしいことになっている。
◆落ちたら人間力がない?
人間力で判断しているというのなら、落ちた人間は人間力がないということになる。
人間力がないとはどういうことだ?
人間としての総合的な魅力出典
人間のあらゆる能力のうちの本質的部分、すなわち人間の本質力出典
これらがない、ということだ。
「あなたには人間としての総合的魅力がありません」
「あなたには人間のあらゆる能力の内本質的部分がありません」
・・・・ねぇ、これ実際言われたらどう思う?
どう考えても死にたくなるでしょ。
生きている意味分かんなくなるでしょ。
なのに「面接で落ちたからって人格否定されたと思わないで欲しい」?
ふざけるのも大概にしとけって話じゃないですか。
だから危ないんですよ。人間力って言葉。
使ってる側としては良い言葉使ってるつもりなんでしょ。
それが一番ムカつくよ。
◆結局「話がおもろいやつ」が良いんでしょ?
採用は結局面接が主なんだから、結局コミュニケーション能力ですよね。
ただ僕はコミュニケーション能力という言葉も曖昧で嫌いです。
「話が上手い」というのも良いんですけど、もっと分かりやすく言えば「話がおもろい」ってことなのではないかと。
「自分はこういうことをやってきました」っていう内容で惹きつけられる話し方をしてたら、絶対受かるでしょ。
もし落ちたとしても、「オレは話がおもろないねんな~」で割り切れるでしょ。
僕は別に話上手いと思ってないですし、それで落ちているのなら「あ~まだまだやな」と思うわけです。
芸人じゃないので、話が面白くなくても別に大して凹みもしないです。話が面白くなければ生きていちゃいけないってわけでもないんですから。
だから人間力とかじゃなくて「話が上手い人を取る!」って正直に言えば良いんですよ。
それをちょっとカッコつけようとして言い換えてるから分けわかんなくなるんじゃないですか。
◆就活も受験も、優秀な奴が受かる
僕は今まで就活と受験は違うものだと考えていました。
受験は点数がある。何で判断されているのか、どこがダメだったのか、勝ち負けがハッキリしている。
就活は宛ら見えない敵と戦っているようだった。
何がダメなのかわからない。上手い奴にアドバイスされても、なんでそれが良いのかわからない。それが良いからって、これからの仕事とどう関わるのかわからない。人間力とかいうから、優秀であるとかは関係ないって考えていた。
でもそうじゃなかった。
就活と受験は同じだったんだ。
優秀な奴が受かるんだ。能力のあるやつが受かるんだ。
それなら良かった。僕は無能っていうことがハッキリ分かったし、落ちる理由もわかった。
何かで頑張らなきゃ人は認めてくれない。
しかし、人としてダメなわけではない。
認められなければダメというわけでもないんだから、これはなるべくしてなることだったんだ。
バレーが下手なら試合で勝てないように、
話が下手だから面接で勝てなかったんだよ。
プロ意識が持てないならアマチュアでいればいいじゃない
その職に就くということは、その道のプロになるということを意味している。
プロには妥協が許されず、仕事に本気でとりかかる気持ちが必要不可欠である。
僕は企業のことを実業団によく例える。
チームメイトが同じ目標に向かって進むことや、自分の好きな競技をやっていることなど共通点が多いからだ。
大学を卒業したら、就職しなければならない。と言う風潮がある。
もし人生に余白を一つも作りたくないのだとしたらその選択は正しいし、僕も新卒で就職することに対しては何も間違っているとは思わない。
ただし、問題は実業団に入るアスリートのように、プロ意識を持って働けるか…というところが問題である。
もしそこで働きたいと心の底から信じられ、自分の技術を向上させることに真摯に取り組め、かつ働くことが楽しいと思えたのなら…それはこれ以上ない最高の喜びである。
それが最善だ。
だが…「全ての新卒生がそうやって働けるか?」といえば、勿論そんなことはない。
というかむしろそんな新卒の方が少ないはずだ。
たった1年ほど就活しただけで、自分が心から働きたいと願う場所が見つかるはずもない。
そんな気持ちがずっと起こらない可能性だって充分ある。
では、そういう見つからなかった人間はどうすればいい?
入った所でプロ意識を持てずにいる。向上心も持てない。つまらない。
そんなアスリートは実業団から追い出されて当然だ。
しかし実業団に入らなければ生きられない。
さてどうする?
簡単だ。
アマチュアでやれ。
アマチュアでプレイする分には、プロ意識はいらねぇ。プロじゃないからだ。
最低限のアマ意識で良い。
じゃあ仕事のアマチュアって何かって言ったら、やっぱりバイトなわけだな。
契約社員はどうかわからんけど、どうも中途半端な存在だから近寄りがたい。
待遇が悪いのにプロ意識求めてくる所もあるかもしれんから、バイトでいいと思う。
要はそのスポーツが楽しいと思えるようになるまで、アマチュアでプレイしてればいいじゃん。
アマチュアだってやってれば技術は上がる。待遇は良くないが、そこは甘んじて受け入れよう。
まあ本来ならば、学生時代に色んなバイトをして、そこから仕事への展望を考えるのが一番良かったんだが、ちょっと遊びすぎてしまった。
これは僕の怠惰で無計画な性格が災いしたので、別にどうということはないが。
それでもまぁ大学は少しそこらへん指導してあげたらちょっとは変わるんじゃないかなぁって思うけど。
何も全員すぐプロになる必要なんてないよ。
いつかプロになることを目指してはいるけれど、まあ僕のプロ入りは今じゃないってことが分かっただけ良しとする。
本当に今の日本の就活って正しいわけ?なんでみんな疑問も持たず出来るわけ?
死に起きです。
突然ですが、僕は就活が大嫌いです。
新卒で何処かの企業に就職しなければ経歴に傷が付く新卒一括採用システムが嫌いです。
5次選考もあって交通費を払って何度も面接地に赴かなくてはならない上落ちてしまったら全てが水の泡になる就活生が損を強いられるところが嫌いです。
リクルートスーツじゃないと面接が不利になるとかいう洋服屋もそれで判断する人事も嫌いです。
たった30分程度の話だけで人を判断して偉そうに語る人事が嫌いです。
結局落ちた理由がなんなのか、一体何で判断されているのかわからない就活が嫌いです。
「説明会を連絡無しでサボるなんて社会人ではありえない」とか言っておきながら、採用結果を送ってこないサイレントお祈りをする企業が嫌いです。
「社会人」とかいう曖昧で抽象的なイメージを都合のいいように使ってくる大人が嫌いです。
「コミュニケーション能力」とかいう範囲が広すぎてなんのことだか全くわからん言葉が嫌いです。
「人間力」とかいうそれっぽいようでなんの意味もない言葉を頻繁に使ってくるのも嫌いです。
「色々なことに挑戦してきた」という長所を裏返し「それって一つのことを続けられないってことじゃないの?」とわざわざ短所にしてくる人事が嫌いです。
まだやったこともない仕事に関しての熱意を求められるのが嫌いです。
志望動機?食品トレーの根性に勤めるときには「食品トレーが大好きで~」とか言うの?
就活生の言葉を引き出すことも人事の仕事なのに、高圧的に接して上手く話せなければ「無能」と判断する怠惰な人事が嫌いです。
趣味はそもそも社会で役に立たないものなのに、「この趣味は社会でなんの役に立つの?」とか聞いてくる無能人事が嫌いです。
なにより、そんなシステムをなんの疑問も持たず迎合してやっていける他の就活生が何より何より嫌いです。
計画留年とかマジで意味の分からない行為なのに、なんの疑問も持たないのか?
履歴書の中には虚偽が蔓延し就活性自身が自分のことをわけわからなくなってるのおかしいと思わないの?
人事に認められるように振る舞うことが「人間力」なのか?
「自分の長所は~」とか自分で言ってて恥ずかしくないのかよ。
そもそも俺達の学生生活は人事に認められるためにやってきたことなのか?
否。僕たちは僕たちの過ごしたいように学生生活を過ごしてきた。
僕がバレーボール部に入ったのは就職活動に有利になるからではない。僕がやりたかったからだ。
僕が映画を見るのは考えを深くするためではない。面白そうだと思ったから見るのだ。
僕以外の人達だってそうだったはずだ。
大学生活はその時やりたかったことをやる期間だ。
なのに、就活が始まると「それはなにかの役に立つか?」「それをやって身になったことはあるか?」と言われ続ければ、それは違和感を感じずにはいられない。
「意味があるか?」という問は無粋極まりない。
「意味が無い」のは「遊び」だ。しかし遊びがあるからこそ面白いことが思いついたり、頑張るための思い出があったする。
ああ嫌いだ。気持ちが悪い。
もう支離滅裂な感じになっているがとにかく就活が嫌いという思いを一度書き記しておこうと思った。
あまりに嫌いだったので、「就活 嫌い」で検索したくらいだ。
そしたら面白い記事が結構出てきたのでちょっと貼っていく。
「志望動機、死ね!」だって。
将にその通り。
就活が大嫌いな人御用達の採用イベント。
同じような考えの人達に会いたいと思ったら応募してみるといいよね。
「こんな就活、海外でも行われてるの?」
海外は大分日本と違うようです。
こちらも同じく。
まぁ完全に他のサイト切り貼りしてるだけになってしまったんですが、もっと自分の意見を翔けるようにしたいと思ったこの頃です。
手記
資格の試験も終わり、投薬ボランティアの入院期間も終わり、遂に僕は完全なるニートとなった。
学校を卒業した時点で普通にニートなのだが、本当に何もやることがなくなったのでもはや言い訳はできない。
気づけば大学を卒業して早三ヶ月が経とうとしている。
今日の昼にはテレビでニートについて議論がなされていた。
タイトルには…たしか「怒れるニート」と書いてあったかな、現役ニートと坂上忍が口角泡を飛ばしていた。
あまりちゃんと見ていなかったので内容はあまり覚えていない。
そして同じくニートである僕はと言うと、怒りは特に無い。
確かに既卒という立場になって、新卒が世間ではかなり優遇されているということを実感した。
そのせいで「計画留年」という歪な撤退を行う就活生もいるし、その制度、風潮は正しくはないと思う。
しかしそれに対して怒りは抱かなかった。
なんというか、「社会はおかしくて当たり前」という妙な諦めがある。
そして勝てる奴というのは、その可怪しさを甘んじて受け入れる人間なのだ。
勝てば官軍負ければ賊軍。
ルールがおかしいのだから俺が負けたのはノーカウント、というのはあまりにもつまらない話だ。
正悪は勝敗で決まる。
これは僕の根底の価値観だ。
そして、僕も敗者の一員である……
あくまで就活に於いての敗者、だが。
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これから本格的に就活を始めなければならないということは、自分が何故このような立場にいるのかキチンと説明できなければならない。
この記事は、その整理をすることが目的だ。
では、少し自分の脳を探ってみよう。
◆一生懸命働ければそれでいいと思っていたあの頃
僕は学生時ホームセンターで働いていた。
その時社員さんに就職についての話をしたんだ。
社員「死に起きくん、どこの業界行くとか決めてるの?」
僕「いやぁ、特に決めていなくって。どこでも一生懸命働くことが出来ればそれで。…だからここで働かせてもらうのもいいと思ってます」
社員「ホント!?それなら嬉しいね」
そこの職場は今までの職場よりも圧倒的に人が良かった。
しかし別段やりがいがあったわけでもないし、最後の方はマンネリ化していて僕も密かにモチベーションを落としていた所もある。
特別商品の知識があるわけでもなく、就活サイトの内定者のコメントのように何かに感動してそこで働こうと決心したわけでもない。
あの頃の僕は、ただ一生懸命になれればそれで良いと思っていた。
しかし今はそう思わなくなった。
きっかけは、間違いなく大学の部活。
◆ 一生懸命なだけでは絶対に勝てない人間がいる
僕はスポーツが嫌いだ。勝利欲求もそうない。
部活の練習は中学も高校も大学も嫌いだった。
根っから怠惰な僕は、とにかく何かを頑張るというのが苦手で、出来ないことを責められるのは本当に嫌だった。僕自身も出来ないことを許せなかった。
それでも部活にはいった以上、一生懸命やらなければという責任感は抱いていたので、それなりに頑張った…のだと思う。
最後の方自身がないのは、「どれだけ頑張れば『頑張った』と認めて良いのだろう」という疑問のせいである。
他の部活の奴らのほうが頑張ったんじゃないのか、そもそも結果が残せてない時点で頑張ったとは言えないのではないか、血反吐吐くほどやったかといえば明らかに嘘だ。
もしかしたらこれは頑張った内に入らないのだろうか。数値化出来ないものに関してはどう判断すれば良いのかわからない。
ともかく、僕は少しくらいは頑張ったが、あまり上手くなることが出来なかった。
しかし、メキメキと成長する人間が居ることも知った。
他校の生徒で、僕と同じく大学からバレーボールを始めた子は「バレーが本当に楽しい
」と言ってのけ、苦しい練習にも当たり前のようについていったという。
この時思い知ったのだ。
「苦しむ人間は、絶対に楽しむ人間につことは出来ない」のだと。
ごく当たり前の話だ。気付くのが遅すぎたくらいだ。
そして、それは仕事に対しても同様であり、仕事に対してプロ意識を持てないでいて、果たしてそれでいいのかという疑問が出たことが、就職を決めなかった理由の1つである。
◆その仕事を選んで、だからどうなの?
就活中色んな企業の説明会に赴いて、ここで働けばこういう風になれるということを何回と聞いた。
聞いて、聞いて、聞いて、聞いて、ある日ぱっと思った。
「だから、なんなの?」
そう言ってしまえば身も蓋もないことなのだが、思ったのなら仕方がない。
プログラミングができるから、だからなんなの?
コミュニケーション能力が上がる、だからなんなの?
安定した職で道路作る仕事をする、だからなんなの?
お酒の資格をとることが出来る、だからなんなの?
社会に貢献することが出来る、だからなんなの?
端的に言おう。
つまるところ、僕はなんの為に生きているの?
その仕事は僕の人生を捧げるに値するものなの?
それをするために生きるの?
お客様のありがとうを糧に生きていくの?
僕はそのために生まれてきたの?
圧倒的上から目線の青臭い疑問が頭について離れない。
しかしこれを青臭いというのならば、かの森鴎外も青臭いということになる。
森鴎外は東大医学部卒で、陸軍の軍医総監(中将クラス)にまで登りつめたのに、それでもその仕事に対して自分の人生を捧げることに疑問を抱いていた。
僕とは圧倒的に能力も経験もすべてがかけ離れているが、ともかく考える方向は一緒だ。
学校は、環境が違えど自由度が高いので自分がやろうとすれば色々出来るところだが、仕事に関しては違う。
これを決めることは人生を決めることと同義であり、それをすぐに決めるということは僕には出来なかった。
結局僕が人生を捧げることを決心できる仕事が見つからなかったのだ。
◆結局駄々こねてるのと変わらない
これを読んで説教したくなっただろう。
「自分がやりたいことだけできるわけじゃねぇ!」
「イヤダイヤダで世の中渡っていけねぇぞ!」
「社会舐めんじゃねぇ!」
ウム、完全なる正論。ぐうの音も出ない。
だが私は謝らない。
親のスネかじっているのだって情けない。
だが私は謝らない。
僕は一切後悔はしていない。まあもしかしたらこの後後悔するかもしれないが。
完全に停滞しているし、反論する気はない。
だが私は謝らない!
だって納得出来ないんだもん!納得したいんだもん!
高望みはしてないし、絶対的に納得できるものがほしいとも思ってないよ!
ちなみに働きたくないとは微塵も思ってねぇよ!
お金欲しいし、ていうか稼がなきゃ死んじゃうし、死んでもいいけど、でももう少しだけ生きるっていう選択肢は取り敢えず選んだから、もう僕は四の五の言わず命かけてやるしかないんだよ!
就活頑張ります!!
ここまで読んでくださった方、本当にありがとうございました。
グループラインがもっと楽に抜けられるようになればいいよね、という話
すごくお久しぶりです死に起きです。
5月いっぱい自動車免許合宿に行っていました。
一応マニュアルで撮ったんですけど、めっちゃ難しいですね運転って。
入学4日くらいは運転できる気が全くしなかったです。
国家資格とはいえ、みんな持ってる持ってる言うもんですから、すわ、行ってみれば難しい上にかなり面倒。
なんかもっと簡単で楽に取れるものだと思っていた…まぁ今となればいい思い出です。
なんか思うことがあったら合宿中に感じたこととか記事にするのもいいかもね。
さて今回は合宿免許の話ではなく、スマホアプリLINEの話です。
中でも、グループラインの話。
僕がスマホを購入したのは大学の二年辺だったのでグループラインはほぼ大学のメンツで出来上がっています。
ただの友人関係のグループラインももちろんありますが、やはり不可欠なのは部活と研究室のLINEですね。
集団の一員である以上、全体で情報を共有するのは非常に重要な事です。
さて、僕は3月で大学を卒業しました。
ここで質問です。
あなたは卒業後、部活や研究室のグループラインを抜けますか?
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【ピンポン】アクマの魅力について語ります
死に起きです。
ピンポンというアニメ作品…というよりその中の一人のキャラクターについて語ります。
原作は漫画。
内容はタイトルそのまま卓球スポ根漫画です。
実写映画化もされており
アニメも放映されました。
ピンポン / PING PONG THE ANIMATION: COMPLETE SERIES
- 出版社/メーカー: Funimation Prod
- 発売日: 2015
- メディア: Blu-ray
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高校の友人とか、大学の部活の先輩とかが超絶オススメしてたので、随分前ですがアニメの方を視聴致しました。
うん、面白かった。
なにが面白いって?
そりゃあ
アクマの存在でしょ。
今回は主人公であるスマイルやペコについてはあまり書きません。
アクマについて書きます。
続きを読む
「ヲタクに恋は難しい」の主人公は何故こんなにも痛いのか
死に起きです。
以前本屋に行ったらこのような本を見つけました。
ヲタクに恋は難しい。
なんかの賞に選ばれたらしく、わかりやすい所に大きく宣伝してありました。
とても絵が綺麗ですね。
タイトルもシンプルでわかりやすい。
ちょっと目に止まったので、帰ってから調べてみました。
すると数話無料で試し読み出来るようなので読んでみたのです。
読んだ感想は・・・・・
すげぇ痛い。
苦痛。正直言って苦痛でしかありませんでした。
なんだろう、すっげぇ痛い。背筋にキリキリ攻撃してくるこの感じ。
しかしなにが痛いのか整理できてないので、書きながら考えてみることにしましょう。
僕はブログ書く前に流れを予め考えてから書く、ということはしません。いつもこんなかんじで考えつつ書いています。
あ、無料で試し読みはここでできるので、良かったら読んでみてください。
ヲタクに恋は難しい - pixivコミックで漫画を無料試し読み
◆オタクが痛い理由
1話はわりと普通でした。
ああ、シリアスな恋愛漫画かと思えば笑いに変えてくる感じね、なるほどなるほど…
苦痛を感じたのは2話です。
クリスマスシーズン。
表紙に書かれていた男女、成海と宏高が街を歩いていると、サンタの服を着てバイトしている宏高の弟と出くわします。
弟は彼女がおらず、その身空でカップルの多いクリスマスの街中で働くのは本当に大変だと哀れむ成海。
そんな成海は弟くんにこう言います。
いるーーーーーーーー!!!!こういう女のオタクいるぅーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!
スゴイ!リアルに居る女オタクの言動をそのまま書き出してる!如実!
どこがオタクっぽいかっていうポイントは2つです!
②本心の笑顔ではないことを全面に仄めかせたわざとらしい笑顔
「リア充爆発しろ」はネットスラングとまでは行きませんが、そもそも「リア充」という単語自体ネット発祥であり、爆発しろなんて2ちゃんでよく言われてたことが世間に出たと言う話で、ネットやっている人間からすれば「ああ~それリアルに言っちゃうんだ」という気持ちになることは少なからずあります。
少なくとも、僕はそうです。
あまりネットの流行り言葉やスラングをリアルの場で使ってほしくない。
そしてこの「②本心の笑顔ではないことを全面に仄めかせたわざとらしい笑顔」は、主にマンガやアニメ、つまり二次元でよく使われる表現法です。
「笑顔だけど怒ってる」というダブルバインドを利用した表現法は二次元においてよく使われますよね。恐らく見覚えがあると思います。
で、女オタクの人たちってこれをよくやるんですよ。僕の主観ですが、よく見ます。
ギャグのつもりかなんかでやるんですけど、「あまりおイタするとそろそろ怒るよ?(ニッコリ)」みたいな!
・・・と、ここまで書いてわかりました。
何故この漫画が痛いか?ではありません。
何故オタクは痛いのか?というそれより一つ前の問。
それは今言ったように、
ネットや二次元のノリをそのままリアルに持ち出してきているから 。
こう言うと当たり前のように聞こえますが、僕も今の今まで気が付きませんでした。
ああ、二次元のノリってリアルに持ち出してくると痛いんだ。
僕も漫画がすきで幼少期から読み漁ってきたもんですし、漫画って日本だったら多くの人が読むじゃないですか。
で、趣味があってアレが面白いこれが面白い…となったら、その漫画のノリをリアルに持ち出して来たってウケると思うのはある種当然だと思いませんか?
でも、実際は違うんですね。
リアルと二次元のノリって、全く別のものだったんだ。
オタクは、そこを勘違いしている。
◆この本が痛い理由
で、ヲタ恋はこの「オタクの痛さ」を全開にしています。
ネットスラング・ネット固有ネタ・マニアックネタ。
それがこの本の主軸であり、それを見たさに読者が買っている。
では、なぜ僕はこれを読んで苦痛に感じたのでしょう?
だって二次元のネタを漫画という二次元の世界で行っているのだから何も間違ってはいない。
であれば、苦痛など感じるはずもないではないか。
答えは一つです。
僕はこの漫画を『漫画』として読んでないから。
矛盾していると思うでしょうか。
こちらの記事を見て下さい。
僕はこの漫画を読む前に、このツイートを見たことがあるんです。
ヲタ恋のカップルが、理想的であると。
確かにオタクの人には理想なのかもしれません。
・・・理想であるということは。
リアルでこんなのあったらいいなぁと考えているわけですよね。
多分作者もリアルを意識して書いていると思うんですよ。
リアルにこんな理想のオタクカップルいたらいいなぁと。
だからこそ僕はこの漫画を「リアルにいるとしたら」という視点で読んだわけです。
それがさっき言った、「漫画として漫画を読んでない」という言葉の意味です。
オタクが痛いのは、マニアックネタをリアルに持ち込んでしまう。
この漫画の趣旨は、オタクがリアルで恋愛したらどうなるかを描いている。
元々相容れぬ水と油を何故一緒にしたのかと疑問に思う作品です。
というか普通に考えてネットネタをリアルで使ってくる女とか絶対嫌。
◆まとめ
・二次元のノリとリアルのノリは全くの別物。
・オタクは二次のノリをリアルに持ち込んでしまうから痛い。
・ヲタ恋はその痛さをギャグではなくリアルとして描いているから痛い。
リアルの反対語はオタク。
決して相容れぬものとして覚えておこう。
ここまで読んでくださってありがとうございました。