天国へ行く為に。

天国は死ぬことと見つけたり。

【雑話】特に考えてないけど書く。

特に何もない。

 

今書いてるこの記事のことだ。

僕は特に何か書こうと思ってはてなブログを開いたわけではない。

ただ、なんかもやつくので手癖で書いてみようと思ったまで。

ついさっきまではコミュニケーション能力についての記事を書いていたが、途中書き方がわからなくなり、気分も乗らなかったので中止した。

思えば最近、「これを終わらせるまで絶対やめない!」と言うような気概を持つことがない。

気分が乗ればやり、気分が乗らなければやらない。

そこには苦痛がなく、達成感もない。

別に僕はこれでいいとは思っているのだけど、なんとなく人間としてダメな気がする。

逃げぐせというか、辞めぐせというか、そういうのがついてしまうだろうか。

 

闘っていない。

闘いたくない。

闘わなきゃダメだろうか。

この先後悔することになるだろうか。

 

どうすればいいかわからなくなったときは、このように文章を書くか、本を読むかのどちらかをすることにしている。

そのときによって、インプットするべきかアウトプットするべきかが違う。

今は恐らくアウトプットの方なのだろう。

 

こういう状態で書く記事はもう支離滅裂で意味のないものとなる。

普段考えながら書いていても滅茶苦茶なところがあるから手癖でかけばそらこうなる。

頭に浮かんでくるものをただ出力するだけのマシンと化している。

 

そして、ここまで書いたら何も出てこなくなってしまった…アウトプットは間違っていたかもしれない。

 

・・・・・・

 

Twitterに書いたことは、自分の事を知る重要な手がかりになると思う。

だから、一応他のブログの方ですべてのツイートを自動で記録してくれるように設定してある。

 

しかし面倒くさがりな僕は、全然見ていない。

いつか読まなければ、と思うのだが、どうにも面倒くさい。

きっと読んでも面白くないものだろうしな…

 

・・・・・・

 

ダメだ。

本当に何も出てこない。

この記事を公開する意味もわからない。

 

またこうやって気分で何かを辞めてしまうのだ。

【小ネタ】なんで面接の練習って茶番に感じるの?

就活で茶番に思うことの追記なんだけど、「面接の練習」ってかなり茶番っぽく感じる。

これ、なんでなんだろう?

 

例えば、仕事でプレゼンをすることになったとするならば、練習は必須。それは茶番じゃない。

舞台をやることになった。台詞の練習をするのは必須。茶番じゃない。

 

でも、面接の練習…?

なんだろう、決まった台詞を言う場じゃあないから?

自分のことを話すのに練習をしなければいけないから?

 

う~んイマイチピンと来ない。

 

誰か分かる人教えて下さい。

就活なんてくだらねぇ VS 勝つためには就活くらいやって退けろ

就活は、紛れも無く茶番である。

 

このような主張は検索すれば様々な所でみられます。

hyoloemon-otameshi.hatenablog.jp

 

iitokoronet.com

 

 

dongurime.hatenablog.com

 

 

茶番だと言われる理由はいくつかありますが、どこの場所でも言われている一番の要素といえばやはり「嘘つき合戦」だということですね。

 

志望動機?ねえよそんなもんなんとなく名前知ってたから受けただけだよ。

仕事に対する熱意?まだ働いたこともないのにそんなこと語れるわけないやん。

学生時代頑張ったこと?平穏に健全にサークルやってましたけどそれだとつまらんとか言って落とすんよな。

 

僕の周りでも内定貰った人間から頂いたアドバイスは「何お前正直に話してんだよ嘘つけよ」でした。

 

そりゃあ社会でやってくにあたって、何でもかんでも正直に語ることが正義なんてこれっぽっちも思っちゃあいませんよ。

ハゲを見て「ハゲじゃん!」とか言うわけないじゃないですか。

むしろ僕なんて、今まで嘘ついてきた事のほうが多いくらいですよ。

 

「じゃあなんで大事な就活で嘘つかないんだよ!」って?

自分の事に関しては嘘をつきたくねえからだよ!!!

 

 

 

・・・そうなんですよ。

僕、ずっとなんでかな~って思ってたんです。

今まで嘘なんてでまかせで言いまくってたのに、なんで今さら言えなくなったんだろうって。

でも考えてみれば、今まで付いてきた嘘って「自分の事に関してはあんまり言ってなかった」気がするんですよ。

特に、自分がやってきたことに関しては。

 

意外だと思われるかもしれませんが、僕は自分の人生に対して悔いがありません。

 

今までやってきたことが正しいとは言いませんが、しかし自分が好んで選んで来た道であります。

もしかしたら、あっちの道を選んでいたほうが良い自分になっていたかもしれない。そう思うことはありますが、こっちの道を選んだ自分の事も好きなのです。

 

今まで好きなことばかりやって来ました。

僕の言う「好きな事」は、社会的に有用なことではありません。

只管に怠惰で、刹那的で、享楽的なことです。

 

なので人様から見れば「お前は一体何をしているんだ!」と怒られること間違いありません。または「くだらない人生だな…」と見下されるでしょう。

 

その通りです。ダメな人生なのです。ですが僕は、その人生を好意的に選択してきたのです。本当に頭がおかしいとしか言いようがありません。

もちろん、ずっとこのままでいようとは思っておりません。無職はイヤですし、フリーターもあまりよろしくない。出来ることなら何かを乗り越え成長し、勝利を掴み取る経験が出来ればそれに越したことはない。

だから、それを目指そうとは思います(まだ他の人に比べれば覚悟は全くできていないが)。

 

それでも、ですよ。

僕は今までやてきたことに対して変な嘘はつきたくないし、過去の自分を裏切りたくもない。

 

変な嘘、というのはやる気が無いのに内定欲しいがために「やる気があります!」とかいうことです。

分かりやすく言えば、媚びを売ることです。

 

あれは、気持ちが悪い。

僕も就活生の時は、空気に流され同じようなことをしてしまったことがあった。

あの時は、帰り道あまりの自分の気持ち悪さに体調を悪くして暫く動くことが出来なかったです。

 

 

 

・・・・・・

 

 

 

しかし僕の書くことは、あまりにも綺麗事が過ぎる話です。

 

だって実際、こんなこと言ってられないじゃないですか。

人生かかってんですよ。

ニートで親に飼われる最低の人生歩むことになるかもしれないんですよ。

最悪、生きることすら出来ないですよ。

仮に生きられても、惨めな人生をこの先ずぅーっと歩むことになるんですよ。

 

それならば、

「綺麗事言ってないで、今のシステムに則って勝ちを手に入れろよ!!!」

って話じゃないですか。

 

システムに文句言ったってしょうがねえんだよ。

この際どんなことをしてでも勝つという危害を持てよ。

 

・・・と、そんなふうに言われても仕方がありません。

 

 

そう。だからもうどっちにするか?って話なのだと思います。

 

就活なんてくだらねぇ、俺は俺の意志を曲げねぇ!

          VS

 たとえ自分を曲げてでも、勝つ!勝つんだ!

 

 

それはもう、各々が好きな方を選んでください。

ただ、前者の方は厳しいですよ。

前者で勝つ人間は、もう相当優秀じゃあないと。

 

僕みたいに雑魚でなんにも頑張ってこなかったあまちゃんは、本当にこの先どうなるか分かったもんじゃあないんだから…

 

 

 

 

・・・・・・・・

 

思えば、就活だけの話じゃないよね。

受験からだ。

 

いい仕事に就くために、勉強をがんばる。

たとえ自分が勉強を嫌いでも、自分を曲げて頑張る。

つまり就活の前から既に腹くくってるんだな。

 

 

ちなみに自分を曲げずに(好きな事をして)就活に使えることやってきた人間には誰も勝てません。

生きる意味を問うことそれ自体が間違っているのだ

「なぜ働かなくてはならないのか」

 

この問が頭から離れなかったのは就活中のことだ。

この問を友人に投げかければ次のような答えが帰ってくる。

 

「生きるために働くのは当たり前だろう」

 

分かっている。そんなことは分かっている。

正論だ。当然の返答だ。ぐうの音も出ない。

でも僕が言いたいのはそういうことじゃない。

そう言われたならこう返さざるをえない。

 

「じゃあ、なんの為に生きるのか?」

 

こうなると今度は相手が何も言えなくなる。

「人それぞれ」だとか当たり前で何の意味もないことを言うニンゲンもいる。

「恋人が出来ればわかるよ」とか上から目線で語るニンゲンもいる。

意味のない正論には何も言い返すことが出来ない。

 

しかし僕がこの質問をして、一番多かった答えがこれだ。

 

 

「そんなこと、考えたこともない。」

 

 

そんな馬鹿な話があるかと思った。

生きる意味を考えないのに生きているって、まるでわからない。

「そんなこと、わからないよ」なら僕も救われた。僕もわからないからだ。

でも「考えたことがない」はとてもショックだった。

 

何事にも意味を持たせようとするのは無粋だ。

別に意味がなくてもそれにのめり込むことはいくらでもある。

ただ、自分の人生について考えないのはわからなかった。

その一瞬、そいつがロボットのように見えてしまった。

 

 

 

・・・・・・

 

 

 

この問をしていくに連れ、僕の頭に嫌な考えが出てきた。

 

 

「僕のほうが、間違っている」

 

 

大多数のニンゲンは自分の人生の意味など問おうとしない。

生まれたから、生きる。

生きるために、仕事をしなければならない。

つまり僕たちは、仕事をするために生まれてきた。

 

普通に考えれば当たり前のことだった。

この世に生まれて仕事を一切しない人間などそうそう存在しない。

死と同様に避けられないものだ。

 

そうだ。それが普通だった。

自分たちの人生の意味など考えず、だから仕事をする意味など考えず、だから死ぬ意味など考えない。

もしくは、考えないようにしている。気付かないように目をそらしているのかもしれない。

何故ならそんなことを考えてはいろんなことが手につかなくなるからだ。

僕がその証拠だ。就活中にその意味を考えだしてから全てにやる気が無くなってしまった。

 

だから、体と頭を忙しくして、考えないようにする。

考える余裕が無いように自分を追い込む。

僕が友人に投げた質問は、もしかしたら人間にとってのタブーだったのではないか。

「バカ!そんなこと考えるんじゃない!」

そんなふうに思われていたのではないかという、ちょっとおもしろい妄想が思い浮かんだ。

 

 

 

・・・・・・・

 

 

 

ならば、意味を考えず働くしか無い。

もうそれしかない。

何故働くのか?と聞かれたら、「働くため」と言えるようにならなければならない。

 

僕にもニンゲンの仲間入りを果たす時が来る。

 

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人生はとにかく企業の人事に認められるために、社会的に評価されることをして生きなくてはならない。

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人間は社会にでるまでに『人間力』を高めなければならない。

何故なら、人間力のない人間は企業に採用してもらえないからだ。

 

 

僕は今まで、好き勝手に生きてきた。

 

怠け者だった。

寝るのが大好きで、寝る余裕があればいくらでも寝ていた。

ゲームが好きだった。

ファンタジーの中で物語を体験するのは至高の時間だった。

漫画が好きだった。

ゲーム同様、そこには壮大な物語があった。疑似体験をし、感動できた。

アニメが好きだった。

映画が好きだった。

バラエティ番組が好きだった。

動画サイトが好きだった。

電子書籍が好きだった。

酒が好きだった。

ファミレスでの雑談が好きだった。

 

 

大学時代は、課題と部活とバイトの間にそれらを味わい尽くした。

楽しかったと思う。

世間的には怠けと捉えられるそれらは、僕にとってはとても楽しい時間だったはずだ。

 

 

だがそこに、成長はなかった。

当たり前だ。さっきから言っているが、それらの暇つぶしは社会的評価の低いものだ。

社会ではそんなことをして過ごした時間など無駄として捉えられた。

人間力をアピールできる点など何処にもなかった。

 

そもそも、僕は成長をしようと思ってそれらをやっていたわけではない。

ただ好きだったから、好き放題に貪っていた。

だから、アタリマエのことだし、それを悪いなんて少しも思ってなかった。

 

 

だって僕は、大学生活では失敗なんてしなかったんだ。

単位もちゃんと取った。部活にも出て、雑事はほとんど僕が熟した。バイトは、まあ褒められる働き方ではなかったかもしれないけど、それなり自分で稼いではいた。

だから、責められるべきことなどなにもないと思った。

 

 

でもそうじゃなかった。ダメだったんだ。普通に物事を熟しているだけじゃ人生はダメだったんだ。

 

何故なら、企業の人事はそういう人間を認めない。

 

「学生時代、何を頑張ったの?」

―部活の副部長を頑張りました。

 

「また、サークルの副リーダー?多いんだよね、そういう人…趣味は何かある?」

―ゲームとか、漫画とか、アニメが好きです。

 

「…それ、社会でなんの役に立つの?」

―趣味って、大体役に立たないものではないのですか

 

「…君、大学時代無駄に過ごしてきたんだね」

―………………

 

 

好き放題生きてきた、ツケが回ってきた。

普通に生きてるだけではダメだったんだ。

別に、誰かに認めてもらうために生きてるわけじゃない。

でも、誰かに認められなければ生きていくことは出来ない。

企業に認めてもらわなければ、生きていくことは出来ない。

 

この世の人間の命は、企業によって握られている。

 

 

だから、人生はとにかく企業の人事に認められるために、社会的に評価されることをして生きなくてはならない。

 

企業だって慈善事業じゃない。

有能な人間を社員として向かえなければ潰れる可能性だって十分ある。

だからこそ、少しでも素晴らしい人間を採用しようとする。

そうなれば、普通の人生をただ熟してきた人間には、どこにも行く場所などなくなる。

 

 

 

僕に、人間力はない。

そしてそれは社会には大罪とされることなのかもしれない。

僕らみたいな怠け者は意識して頭で考えて頑張って体を動かさないと何も出来なくなっちゃうんだよね

社会的に無駄なことはやってはダメだという考えが嫌いだ。

 

世間は「お前のやりたいことをやれ」と聞こえの良い(―けれど薄っぺらくて何も響かない)言葉をかけてくる。

しかしその『やりたいこと』は、社会的に評価されることにのみ適応される。

 

スポーツをやりたい。今を充実して遊びたい。教師になりたい。本を読みたい。旅行へ行きたい。友人と思い出を作りたい。

どれも素晴らしいこと。企業の人事あたりはそれをよく評価してくれるだろう。

 

では、やりたいことがこれらだったら?

ゲームがしたい。昼間で寝る生活をし続けたい。2chまとめサイトを見続けたい。漫画を読み漁りたい。オナニーしまくりたい。

「これが俺のやりたいことなのだ!」と高々に宣言した人間に対し、「素晴らしい」と声をかける人間は果たして地球上に居るのだろうか。

 

結局「やりたいことをやれ」なんてのは「俺の許す限りなら」という言葉が頭につくものであって、結局のところなにも許されてないのである。

僕は別に、そういう怠惰で俗な欲求が認められないのが嫌なのではない。

「やりたいことをやれ」と気分のいいこと言っておいて、例外が存在するのが嫌なのだ。

それなら予め「社会的に評価されることの中でやりたいことをやれ」と言え。もしくは何も言うな。

無理やり綺麗なこと言おうとしてっからおかしなことになるんじゃないか。

 

 

僕は怠け者だったから、そういう怠惰で刹那的な快楽をどうしても好んでしまう。

楽が好きなのだ。だらけたいのだ。ぐでたまやリラックマが憧れの存在なのだ。

加えてさっきのような、「社会的に評価されることをやらなければならない」という固定観念が嫌いだったというのもあって、大学の部活を引退したあとから怠惰の極みのような生活をしている。

 

そうだ、これが僕の望みだ。

エピクロスの提唱する生き方とは違うが、構うものか。七つの大罪?知った事か。

 

だってずるいじゃないか。

あいつらはやりたいことをのびのび出来るのに、なんで僕ら怠け者は後ろめたさを感じながらいそいそとやらなくてはならないのか。

こうやって生きていくことの素晴らしさを証明してやるぞ!

 

 

 

 

 

 

・・・・・

 

 

 

 

 

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流石に、限界がある。

 

ニコ動見るのもまとめサイト見るのも、限度がある。

全てが全て面白いわけじゃない。

或いは面白いものもあるかもしれないが、それを見つけるのも一苦労だ。

 

正直、この怠惰の極みも過ごしづらくなってきた。

元々、学校とか部活とかがあってその合間に遊んでいたから、怠惰の極みでもまだまだ足りないって感じだったけれど、膨大なる時間の中では全てが飲み込まれてしまう。

 

何かがしたい。それも社会的に有用なやつがいい。

 

?「何!さっきと言ってることが違うじゃないか!手のひらがし野郎め!」

 

そう言われても仕方がないが、弁明させてくれ。

これは別に「社会的に後ろめたいから・・・」という気から起こしたものではない。

興味だ。純粋な興味。

社会的に無用なことばかりやってきた僕が、社会的に有用なことってどんなものなのだろう?と少し気になり始めたのだ。

 

それから、社会的に無用なことって、そんなに無い。

さっき書きだしたものくらいじゃないかな。結局だいたいのことは社会的に有用なことにつながっちまうのではないか。

それに、なにか自分の武器になるものが出来るって、欲しいって思っちゃうのは人間として当たり前の感情じゃないかな。

 

RPGで良い武器買って攻撃力あがったら嬉しいでしょ?

新しい街で新しい魔法覚えられるってなったら、覚えたくなるでしょ?

今の僕も、軽い気持ちで「なんか新技欲しい」って思ってるだけなの(長く続くとは限らない)。

 

今まで僕は、そういう欲求が少なかったのかなって思う。

それが、怠惰の極みを経験したことで一回解消された。そこから何かが芽生えた。

何が芽生えたかは今のところ検討もつかないんだけどな。

これやる!ってのがないのだもの。

 

 

 

こうなると、時間の使い方が重要になってくる。

ちゃんと頭で「何がしたいのだろう」と考えて、候補があったら脳みそで体動かしてやってみる。

なんだか大袈裟な言い方?いやいや僕達怠け者は、頭で意識して頑張って体を動かさないかぎり動かないんだよ。重いの、この体。月面旅行から帰ってきたアストロノートくらい。

 

 

前はね、頭で無理やり体を動かすって不自然で嫌だと思ってたんだけど、今は仕方がない。

だって動かさないのももう辛いのだもの。

風呂から出るのダルいけどもう湯船もぬるすぎて気持ち悪くなっちゃったみたいな。

 

止まるのが動くのよりも嫌なら、動こう。

動くのが止まるのより嫌なら、止まろう。

 

結局どっちをすることによってメリットが有るかって話なんだから、そう難しい話でもないものね。

 

 

楽しいこと(メリット)が欲しいのよ。

新しく楽しさを探さないとダメね。

 

 

 

明日は何をしようかな。

 

働かない―「怠けもの」と呼ばれた人たち

働かない―「怠けもの」と呼ばれた人たち

 

 

ゲームが純粋に出来なくなってしまった。

 

僕「純粋にゲームが出来なくなってしまった

友「何だ急に」

 

僕「僕は今ニートでやりたい放題できる。いや厳密に言えば金が無かったりプライドがあったりでやりたい放題は出来ないのだが、定職についている人たちに比べれば時間はある。気力も体力もある。人目を気にしない気持ちさえ持っていれば凡そ自由と呼べるべき自由を謳歌することが出来る」

友「本当はもっと焦るべきなのだろうがな」

 

僕「そうだな、正しい人間であろうとするならばさっさと職につくことが正しい。しかし取り敢えずそれは置いておこう。今話したいのはそれじゃないし、正論で叩かれると僕は黙ってそのまま石になる」

友「わかったよ」

 

僕「子供の頃はよくゲームをやっていたのに、大人になるとゲームをやらなくなる人間が居る。これはゲームに意義を見出せなかったり、ゲーム以外の楽しみを見つけてそっちに夢中になったり、集中力や目の辛さでとても出来なかったりと、やらなくなる理由は様々だ。そんな中で、僕がさっき言った『純粋にゲームが出来なくなった』というのは、そのどれとも違う。」

友「そうなのか?」

 

僕「だってそれらは『ゲームに興味がなくなった』んだろ?僕は今でもすごくゲームがやりたいんだよ。」

友「ならやればいいじゃないか。ああ、金がないか」

 

僕「金はないが、そこはさほど重要じゃない。何故ならあまり買う気にもなれないからだ」

友「? どういうこと?矛盾してない?」

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