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天国へ行く為に。

天国は死ぬことと見つけたり。

人生について考える その1「どうせみんな死ぬ」

こんにちは、死に起きです。

 

ちょっとこれからの人生について色々考えようと思います。

何いきなり!?って、いや別に何かきっかけがあったわけでもなく、ただ単に考えてみようと思っただけです。ふとね。

というか人生について考えるって、むしろ四六時中やるべきだと思うんですよ。

なんせ人生って、意味分かんないじゃないですか。

そもそも僕は何故生きてるのか、存在価値を認識できない。

そもそもこの世界はなんの為に存在しているのか。ある意味がわからない。

まあ恐らく答えなど無いのかもしれませんが…。

 

ただ思い出してみると、僕の身の回りで人生についてあれこれ考えているような人って、少ない気がするんだよなァ…

実際、います?身の回りで「自分の人生の意味」とか考えてる人。

例えば飯の場でいきなり「人生の意味って、何だと思う?」みたいなこと口走ったら間違いなく怪訝な目で見られるでしょ?

「なにシリアスになっちゃってんの?笑」みたいに茶化されると思うんだ。

まあ実際、ちょっと空き時間が出来た時に知り合いと話した時も、「人生の意味なんて考えたことなかった」って言っていた。

 

そう…考えない人がいるんですよ。

これ、僕的にはかなりびっくりです。だって何かをするなら、何のためにするのかその意味を考えるでしょう?

生きているなら、生きている意味を考えるのがごく自然のことだと思っていたから。

でも、むしろ人生の意味を考えない人の方が多いのかもしれない。

 

多分ですけど、そういう人たちって既に意味を見つけてるんだと思います。

既に答えが見つかっていることを探しだす人はいない。

・・・でもさっきの人は「生きている意味はわからないし考えたこともない。生まれたから生きているってだけ」って言ってたんだよな…違うのかな…

 

まあともかく、僕は僕の人生を、いつも考えていることを一度文章にしてみようと考えたのである。

 

 

人生を語る中で根幹となるのは、死生観だと思う。

僕はこの死生観が良俗と噛み合っていないため、まともで居られていない。

 

一言で言いましょう、僕は常にどうせ死ぬと考えて生きています。

虚無主義ということでいいのかな。どうせ死ぬなら、この世でやったことって何の意味もないんじゃあないの?だったら好き勝手生きるのが最適解なのではないの?ということです。

 

僕の座右の銘の1つに、カルペ・ディエムがあります。

その日を摘め - Wikipedia

日本語で言うと、その日を摘め、です。

分かりやすく言うと、「今日というこの日を生きていこう」「今この瞬間を楽しめ」「今という時を大切に使え」という意味です。

 

さらにもう一つ、メメント・モリです。こちらは聞いたことあるでしょうか。

メメント・モリ - Wikipedia

いつか自分が必ず死ぬことを忘れるな、と言う意味です。

カルペ・ディエムと似たような概念ですよね。いつ死ぬかわからない。だから今この瞬間を楽しめ、と。

 

まあこれらの考えがまんま僕の考えだと思ってもらって構いません。まあそれにしてはちょっと僕がこれらについて勉強不足かもしれませんが。

 

一般の人がこれらの概念を聞いたら、「なんて破滅的な考え!」と驚くかもしれませんね。

だって現代って、そうそう死なないじゃないですか。

特に日本の治安は世界随一だし、自分で死のうと思わなければ事故とかで死ぬ以外そうそう死にません。

 

しかしカルペ・ディエムやメメント・モリが流行ったのって、ペスト病が流行った時期だったんですよ。

小学校の頃社会で勉強した記憶があります。黒死病とも呼ばれていて、ヨーロッパ全土で流行りその内三割が命を落としました。

現代の安全な日本とは比べ物にならないくらい、死を近くに感じる環境だったわけです。

 

想像してみてください、身の回りの人間がよくわからん病気でバタバタと死んでいくんですよ。

それはあなたの同僚かもしれないし、あなたの友人かもしれないし、あなたの恋人かもしれないし、あなたの家族かもしれない。

そしていつ自分だって死ぬかもわからない・・・

そしたらこう考えません?

「オレたちはなんの為に生きているんだ?」

今まで頑張ってきたことだってほぼすべて無駄になるんですよ。

ピアニスト目指して辛いレッスン頑張っても、明日にはペストで死ぬかもしれないんですよ?

なんなんだ?人生ってこんな儚いものなのか?

 

そんな思いから生まれた静物画のジャンルが、ヴァニタスです。

ヴァニタス - Wikipedia

ヴァニタスには髑髏や熟した果物、泡、砂時計、楽器などが描かれ、人生の終わりを意識して描かれているようです。

 

「死の舞踏」なんて絵画もありますが…

死の舞踏 (美術) - Wikipedia

これもヴァニタスですよね。死の舞踏に描かれている骸骨たちは様々な身分の者達です。

貴族だったり、僧侶だったり、農奴だったり。

それら生きている間に格差がある存在でも、死ねば全く同じ存在となる…という意味が込められています。

 

とまあ、上に上げた言葉全て死に関するもので、「ちゃんと死の事も考えろよ」っていうことなんですね。

それは日本の武士道にも通じるところがあります。

 

「でもよ、ここは現代の日本だぜ?死なんてそうそう訪れないんだから生のことだけ考えていればいいんじゃないの?」

 

確かに、先程も言ったとおり明日死ぬなんてこと確率的にかなり低めです。0ではありませんが。

しかし…僕がいいたいのは明日死ぬとか、五年後死ぬとかそういうことじゃなくて

どうせ死ぬんだよねってことです。

いつ死ぬかは関係ありません。結局0になることを、何故やらなくてはいけないのか。

どうせ死ぬのに、苦しみを受けて生きることは果たして正しいことなのか。

死のうは一定ってやつです。皆死にます。

 

そう、僕は死のことばかり考えすぎたせいで、生きる意味が解んなくなっちゃったんですよ。

結局みんな、この世に生を受けて何をしたい?

悪逆の限りを尽くすか?快楽の極みを目指すか?退廃のままに死んでいくか?

 

わからない…僕には生きる意味が全くわからない…

 

 

というわけで短いですが、というか人生のこと考えずに終わってしまったんですが、とりあえず僕が虚無主義だということだけを伝えてここで終わりにします。

続きますので、また投稿があれば是非読んで下さい。

 

ではまた。