頑張れば報われる VS 頑張ったって報われない
こんにちは死に起きです。
あなたは「頑張ればきっと報われる派」ですか?
それとも「頑張ったってどうせ報われない派」ですか?
まあちょっと極端過ぎるのですが、どちらか強いて言うとするなら……………。
僕は後者です。頑張ったってどうせ報われないよ派です。
卑屈だと思う方もいらっしゃるでしょうが、そもそもなんでこういう考え方になるのか、それぞれに理由があるはずです。
まあ簡単なんですが、ようは過去に頑張って報われたことがあるかってことですね。
前者はもちろん報われたわけです。勉強したら志望校に受かったんでしょうか、部活で県大会優勝でもしたのでしょうか、女の子にアプローチかけたら受け入れてもらえたのでしょうか。
それらの経験があると、「ああ、頑張ればちゃんと報われるんだ。神様は努力を認めてくれるんだ」と信じるようになります。当然の結果です。
後者は、残念ながら頑張っても結果に現れなかったようです。
要領が悪いのでしょうか。上手く言ったと思ったら裏切られたのでしょうか。女の子にアプローチかけたらストーカー扱いされたのでしょうか。
それらの経験があるとどうなるでしょうか?
そう、「頑張ってもどうせ報われないんだ・・・・」
・・・
と、本当になるでしょうか?
いえ、実際に口にそう出すことはあるんですよ。ただ、本当に心の底からそう思っているのか?
この言葉には裏の意味があります。
「どうせ頑張っても報われない」ではなく、「報われると信じると報われなかった時のダメージが大きいから期待しないようにしよう」とこうなります。
経験ありませんか?
あまりにも「行ける!行ける!」と思ってると失敗した時ほんとうに辛いんですよね。
スポーツで負けている選手とかは、それが怖くて試合終了する前から諦めをすることがあります。
選手としてはやってはいけないことなのですが、まあでも心を守るためには仕方ないと思うこともあります。
スラブダンクの名言でよく取り上げられる安西先生の言葉がありますが、あれも奮起できた三井だからこそ効力を持ったんですよね。
もちろん、「報われる!」と信じることで出てくるパワーというものもあるので、全てを諦めた上で挑むことが必ずしもいいとは限りません。
ただ無思慮に「頑張ればきっと報われるよ!」などという事を言うのはやめましょう。
もしあなたがホロコースト時の収容所ので奴隷のように働かされていない限り。
あとちょっと話がずれるんですが、報われる派の人って「良いことをすれば見返りが貰える」と信じて疑わない人もたまにいます。
これは怖い。
手前勝手に親切を強要しておいて「じゃあなにかお返ししてね」と迫る。なにこ返ってこなかったら怒って復讐する。
まあ僕的にはあまり期待しないほうが楽に生きられるとは思いますけれど。
ちなみになんでこんな記事書こうと思ったかというと、僕の頭にほんの少しだけ、「なんで誰も僕の記事をふぁぼってくれないの」という思いが掠めたからです。
ほんの少しだけです。ホント。
本の数行だけ記事書いた奴にはスゴイコメント着てるのになんで僕だけ…とほんの少しだけ掠めてしまって、それが怖かったのです。
だって、それだと僕は人の反応があるから記事を書いているってことじゃないですか。
こっちでも少し触れたんですけど
この小説に出てくる理香は、人に認められるためだけに行動しています。
まあ就活がそうなんですが、それって正しい行動理由にはならないんじゃないかな、って思ってるんです。
露伴ちゃんなんか最も正しい行動基準で行動しています。
行動自体が目的になっている、これが最高です。
だから僕があの考えを頭に掠めたってことは、「人に認められるためだけにブログを書いている」といわれても自信を持って撤回できなくなってしまうんですよ。
だからこの記事を書いて自分を再確認すると同時に、高らかに宣言します。
誰も俺の記事ふぁぼらないでいいから!!!僕は自分が書きたくて書いてるんだからな!!!!
でもちょっとでもいいなって思ったら是非ふぁぼしてくれよな!!!!!
ここまで読んでくださって本当にありがとうございました。