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天国へ行く為に。

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【思考の整理】仕事ってどこまで意識の高さを求められるのだろうか

 死に起きです。

タイトルに【思考の整理】と書いてありますね。

カテゴリーにもありますが、タイトルに【思考の整理】が入っている記事は、誰かに伝えようとして書いたものではありません。

自分が自分の思考を確認するために書くものなので、色々めちゃくちゃです。

今後も何回かこういう記事があると思うので、見るに耐えないと思った方は無視して下さい。

 

今回の記事は過去を思い出しつつ感情的に書き殴った文章です。

覚悟してお読み下さい。

 

 

 

スポーツというものは良いですね。

体を鍛えられるだけでなく、精神力をも向上させることが出来る。

人と人とのつながりがあり、社会の中で生きていくためのノウハウが学べる。

より良い人間になりたいと思うのならば、ぜひやるべきものだと思います。

 

 

 

僕はスポーツ嫌いですが。

 

 

 

今までの記事で、僕は仕事とスポーツは共通点があると言いました(正確に言えばスポーツではなく実業団)。

で、改めて大学中にやったバレーボール部のことを思い返してみて、これが仕事となったらどうなるのだろう、と考えてみることにしたのです。

 

 

 

 

①意識の高さを求められる

 

うちは部活といえどほぼサークルみたいなものだったので他に比べたら厳しいというものではなかったのですが、やはり下手くそに対してあたりの強い先輩はいましたよね。

 

バレーなんかは団体競技の中でも穴があると極度にゲームレベルが下がってしまうものなので、レベルの高いゲームがしたい経験者にとっては下手くそはイラツキのもとになっていたものと思われます。

とはいえ、初心者は下手くそで当たり前。

僕は初心者でかつ運動センスなし野郎だったので、まあ怒られたりしましたとも。

 

大学生なんて20そこらのクソガキです。

大人でさえ人格者となるのは難しいのに、ガキが人徳を持ちえているなんて珍しいものです。

いますけどね?でもそれと同じく破綻者もやはりいるのです。

 

で、昔の僕というのはとても真面目というか、いい子というか、軟弱というか臆病というか、ともかく自罰的な人間でありました。

自分の非が少しでもあれば、謝って改善しようとします。

しかしまた怒られるのが嫌で、それが怖くてビビりながら恐る恐るバレーやってましたね。

そんな心でスポーツやってて上手くなるはずもないのに。

 

とにかく自分の非をすぐに認めすぎてしまうんですね。

そして「ここは僕が悪いのだから言い返すのも筋じゃない」と考えていました。

まあ確かにこっちが悪いのですが、言い方っていうものもあるし、そこは向こうが悪いところもあったよなあと今なら思うのですが、あの時の僕は何も出来ませんでした。

 

とにかく精神的弱者であったことは間違いありません。

 

しかしですよ。

たかが大学のサークルでなんでそこまで怒られなくちゃいけないのかと。

さっきも言いましたが、なにも全国優勝を目指しているわけでもないのに、そんなに意識の高さを求められるのはおかしいのではないかと。

今はそう思います。

 

しかし嫌なシーンを思い出すと心臓がキリキリする。

別にトラウマとも言いませんし、なんて非道い奴らだったと非難する気もありませんが。

ただただ、「なんであんなに真面目にやってたのかな」と自嘲が耐えないのです。

 

 

さて、じゃあ仕事はどうなのでしょう。

それこそ実業団のように、ガッチガチの意識の高さを求められるのでしょうか。

少しミスすればめちゃくちゃに怒られるような場所なのでしょうか。

 

強豪校の高校の部活とかだと、やはりスパルタなのでしょうね。

スパルタ、という教育法も2000年前に行われていたものであり、今もそれが絶えず結果を残しているということは、その教育法もメリットはあるということなのでしょうか。

原初のスパルタって「訓練に耐え切れなかった人間は殺す」っていう頭おかしい教育法なんだけど。

 

最近ツイッターでは理不尽な新人研修が話題になっていますが・・・

togetter.com

 

本当にこれ、効果あるのかなぁ・・・。

 

 

 

いえ、たしかに意識の高さというものは大事です。

例能界は縦社会ですが、努力しない芸能人はすぐに干されますよね。

イケメンの俳優さんだって、かなりの努力をしているはずです。

中にはベテラン俳優にボロクソに怒られた方もいるかも知れません。

それを逆に「薫陶ありがとうございます!」と言う精神で邁進する人は好感を持てますし、そうあるべきだと思うところはあります。

 

しかし、そのような振る舞いができるのって「演技が楽しい」あるいは「その世界で大成したい」という主軸があるからこそ出来るものですよね。

 

じゃあ、そんなに上を目指したいわけでなく、ただ生きることを目的として就職した人間は、どうすればいいでしょう。

そういう人のが多いと思いますよ。

そんななにがあるわけでもない場所で、意味もなく理不尽に怒られて留まる人が果たしているのでしょうか。

 

生活に追われて不本意ながら留まる人もいるかもしれません。

でも大半は去って行くことでしょう。

 

辛いからではありません。

そこにいる必要性がなくなったからです。

 

今、若者は彷徨っています。

どうにか正しく人を導いてくれる大人と出会えることができればいいのですが・・・

 

 

 

②気に入られる奴は仕事ができなくても良い

 

うちの部活は時々来る人が多くいました。

時々来るとなると、まあそこまでバレーが好きというわけでもなく、つまり未経験者が大半です。

当然、下手くそです。

 

しかしその人には、ある才能がありました。

人を笑わせる力です。

 

その人は僕よりも下手だったのですが、不思議なことにその人がミスをするとみんな笑うのです。

「なにやってんだよ~www」

「はいはい、ミスると思ったwww」

 

なんということでしょう。

僕はミスをしないようにと心の底から思っていたのに、彼はそれをなんとも思っていません。

「なぜ僕は怒られて、彼は怒られないの」

 

僕は不条理を感じました。

僕のほうが頑張ってるのに。

あっちのほうがミスが多いのに。

 

もちろん彼に向上心はなく、ただ友達の付き添いと言う形で来ていました。

僕と彼の違いはなんでしょうか。

僕は「キャラクター」だと思います。

 

彼はミスっても怒られないキャラクターなのです。

僕はミスったら怒られるキャラクターなのです。

 

正直、キャラクターってなに?と問われたらお手上げなのですが、

当時の僕は「ああ、キャラクターとは生まれつき決まるもので、僕はこういう人生を歩む星の下に生まれたのだな」と思っていました。

 

今?

今もちょっとわかりません。

怒られるキャラクターって、なんでしょうね。

 

 

そしてこのことは間違いなく会社でも言えることですよね。

仕事ができないのに気に入られる人間は、間違いなくいると思います。

 

しかし勘違いをしないで下さい。

これは理不尽ではありません。

法則です。

この世の中はそのような法則によって成り立っているということです。

 

「真面目な人間が救われるべき」

「正しくあれば必ず救われる」

という言葉は、社会に迎合することを怠ける人間の言い訳です。

そもそも何故、真面目であれば救われると思うのでしょうか。

 

とはいえ、僕も怒られない彼を見て不条理を感じたので、人の事は言えませんが。

要は人間、自分に都合のいいこと以外は腹が立つって言うことですよね。

 

 

 

 

・・・部活と仕事の比較とはいったものの、②個しか思いつかなかった・・・

思考の整理はこういうことが起こりうる。

 

 

 

◆会社=実業団 は本当にそうか?

 

お前が言い出したことだろって話なんですけど、ちょっと疑問に思えてきました。

だって、実業団ってみんな半端無く意識高いじゃない。

世界一目指そうってんだもの。半端じゃあない。

 

そんな意識の高さを、すべての会社が持ちえていると思うか?

あるいは、持ちうるべきだと思うか?

 

「本気」という言葉。

松岡修造さんが好きそうな単語ですが、さて ただただ苦しいことに身を捧げ、理不尽を全て受け止めて自己を犠牲にして行うことを「本気」と読んでいいだろうか。

 

どちらにせよ、僕は健全でなく、正しくないと思う。

僕は意味もなく理不尽に身を捧げるのはもう嫌だし、絶対にしようと思わない。

 

しかしそうなると、「根気がない」だの「怠け者」だの言われることになる。

 

なんだろう。どうすればいいのだろう。どうやって生きていけばいいのだろう。

僕は自分が耐え切れないほど苦しいと思ったことはもうやらないと決心したが、果たしてそれでこの先生きていくことが出来るのか?

あるいは自分の倫理に反しないだろうか?

 

僕は未だにいい子ちゃんな所があるので、「自分の非は直さなければ」と無意味に追い込む可能性がある。

 

働くには、努力は間違いなく必要。

その正しい健全な努力と、無意味に苦しむ苦行。

ここの境界線がなかなか難しい・・・。

 

僕の好きな中野信子先生が書いた「努力不要論」と言う本があります。

 

 確かこの本の中に答えがあったような・・・

もう一度読み返して今度レビュー書くので待ってて下さい。

 

 

◆無意味な自己否定は相手に屈服している

 

さっきは、理不尽に耐え苦しみを経験することが正しいのか、

あるいは 苦しみから逃れやりたいことをやるのが正しいのかわからないと言いましたが・・・

書いててちょっと思いつきました。

 

僕達に必要なことは、耐えることでも逃れることでもなく、反抗することではないでしょうか。

 

一見すると逃げるが負けで、耐えるが勝ちのように思えますが、本当に耐えるのは勝ちでしょうか?

 

だっていいように使われているんですよ。

上のように研修で非道いこと言われて、あとで「あれのお陰で成長した」なんて思うのは向こうの思う壺ではないのか。

 

退社が逃走というのなら、会社に残り理不尽に耐えるのは・・・

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屈服しているだけなのではないか。

 

 

 

◆気に食わないことには反抗して生きていこう

 

正直、適当に書いてた記事だったのでこんな結論になるとは全く考えてなかったんだけど、答えが出てよかった。

 

屈服してはならない。

黙って従ってはならない。

自分が間違っていると思うことに対して、異を唱えること。

これが一番大事なのではないか。

 

僕が部活で怒られたのなら、

「そりゃミスったのはこっちが悪いけど、そんな言い方はないんじゃあないの?」

としっかり相手に向きあえばよかったんだ。

 

俺はただ自分を責め、相手に向き合わなかった。

相手が怖かったからだ。

 

いや思っている以上に、反抗することは大事なのかもしれない。

この答えが出せたのは、何よりの収穫だった。

 

 

ここまで読んでくださって本当にありがとうございました。