天国へ行く為に。

天国は死ぬことと見つけたり。

人は皆 流れ着いてそこにいる。

死に起きです。

遅くなりました。

で、遅くなって書く記事が前に書いた記事の続きかといえば、そうではないという。

 

いや、ほんと中途半端なの、行けないと思うんですけど、やっちゃうんですよね。

 

なんでやっちゃうかって言うと、僕はその時の感情を第一に行動するからです。

ちょっとかっこよく言っちゃってますが、簡単に言っちゃえば「やりたくない時はやらない」っていう自分勝手な行動基準です。

 

でも、気持ちって結構重要じゃないですか?

何故なら、気持ちは変化が急だからです。

 

今僕はこの記事を書きたくて書いてます。

ですが、この気持ちも今寝てしまえば起きた時にはなくなっているでしょう。

 

見覚えありませんか?

明日から頑張るぞ!と気合入れたはいいけれど、起きたらだらけちゃうのって。

気持ちって、全然一定じゃあないんですよ。

すぐなくなるし、かといえばすぐやる気が湧いてくるほど僕は活発ではありません。

 

だからこそ、今のこの気持を大事にする。

僕はやりたい気持ちが上がってきた時はすぐの行動に移します。

なくなるのがもったいないからです。

 

僕は基本人よりやる気がありませんが、だからこそ大事にするという気持ちは持っています。

 

ただ、やはり気持ち優先なのでやる気ないときは本当にやらないんですよ。

だってやる気ないのに良いの書ける気しないし、仕事じゃないのにそんなところに精神力使ってちゃあ元の子もない。

だから前後編とかに分けるの、やめたほうがいいんだよなぁ笑

 

前後編に分けると、後編書こうとする間に他の思考が始まっちゃって、その気持ちのほうが大きくなっちゃうからね。

まあ、今のところこのやり方で勘弁して下さいまし……。

 

 

ああ、序盤で結構書いてしまった。

本題へ。

 

 

運命、という言葉がありますね。

人の意志を超越したなにか…見えざる神の手、というやつですね。

 

さてあなたは、運命に従う人間ですか?

それとも運命に抗う人間でしょうか?

 

_________________________________

 

 

大学の卒業式が終わった後、学科で二次会がありました。

その二次会には教授の方々も来ていて、お酒を飲みながらお話をしました。

授業の時、僕はあまり積極的に先生に話しに行く生徒ではなかったので、思えばしっかり話したのは最後のこの時だったかもしれません。

 

僕は自分の話をするのがそこまで好きではないので、教授の今までの人生を掘り起こすように話しました。

 

すると、みんな共通して口にする言葉がありました。

それはーーー

 

             「気がついたら、ここにいた」

 

酒で酔ったとかそういう話でなく。

この言葉は、僕が「どうして教授になったのですか?」と言う質問を投げた時に返答されたものです。

みんな…全員ですよ?"なろうとして教授になった"わけではないんです。

 

成り行きでそうなったという人ばかりでした。

そもそも会社員から教授になった人が殆どで、会社から勧められたからとか、たまたまここに来てしまったとか、そんな感じでした。

 

来てしまったとかいうと不本意なように見えますが、彼らは現在の環境にものすごく満足しているとのことでした。

  

__________________________________

 

 

なんか語り口調に書きましたが、実際の話です。

ついこの間、僕が卒業した時の話。

 

僕は結構おっさんと話をするのが好きなんです。

何故って、面白いじゃないですか、おっさんの人生。

 

まず、長い。僕の倍くらい生きてるわけで、そこにはいろいろな出来事があったはず。

なにより、社会でもまれた経験があるっていうのが面白い。

学生時代の話よりも社会の話のほうが参考になるし興味がある。

 

教授だけじゃなくバイト先のおっさんとか、色々人生を根掘り葉掘り聞かせて貰ったことがあるけれども、やっぱりみんな共通しているのは「流れ着いてそこにいる」 ってことなんですよね。

 

誰一人として「俺の力で望んだここへたどり着いた!」なんて人は一人もいない。

 

 

 

 

 

そう気づいた時、僕は人生がどうなっているのかが少しイメージで見えた気がしました。

 

 

 

 

 

川があります。

 

f:id:bxbt4097:20160423080101j:plain

 

その川の流れは、とても強いものです。 

激流。

しかも流れは一辺倒ではなく、いろいろな方向へグルグルグルグル渦巻いており、上から見るだけではどうなっているのか全くわからない。

 

しかし、渡らなければならない。

この川を泳いで向こう岸に渡ること、それが人生。

 

f:id:bxbt4097:20160423074954j:plain

 

・・・・で、この川の流れっていうのが、先ほど言った運命、あるいは神の手です。

この川の流れに抗うか?従うか?それが最初に言った問です。

 

 

例えば、向こう側に自分の目指したい陸が見えるとします。

そうしたら当然、そっちの方向に向かって泳ぎますよね。

 

でも、この流れの中でどうあがいたって、そうそう思い通りに行くわけもない。

もちろん、その流れが自分の行きたい方に流れていればいいのですが、どうなっているのかは複雑すぎてわからないので、結果全く別の場所へたどり着くことだって普通に有り得ることです。

 

 

 

では、川の流れが強すぎるからといって、何もしなければどうなるでしょう。

 

もしかしたら、絶対に行きたくない場所にたどり着いてしまうかもしれない。

川に流されるだけってんなら、ここに生まれてきた意味は全くもって無い。

 

とても強い激流ですが、起動を少し修正するくらいなら、頑張れば出来るかもしれません。

 

・・・・・

 

僕のイメージする人生は、そんな感じです。

就活とかしてると、色んな道があって、その道を自分が選んで歩きたいように歩くという、そんなイメージが湧きますが…果たしてそうでしょうか。

そんな思い通りに行くものでもないのではないか。

「なるようになる」「神の思し召し」と言う言葉にも似てる考えかもしれません。

 

 

 ともかく僕が言いたいのは、あまり必死に何かを目指そうとしなくてもいいんじゃない?ってことですね。

 

もちろん目指してもいいんですけど、あまり何かが見つからなくても、いつか流れ着く時が来るから、それを待っていればいいですよ。

 

 

 

以上です。

ここまで読んでくださってありがとうございました。