天国へ行く為に。

天国は死ぬことと見つけたり。

ゲームが純粋に出来なくなってしまった。

 

僕「純粋にゲームが出来なくなってしまった

友「何だ急に」

 

僕「僕は今ニートでやりたい放題できる。いや厳密に言えば金が無かったりプライドがあったりでやりたい放題は出来ないのだが、定職についている人たちに比べれば時間はある。気力も体力もある。人目を気にしない気持ちさえ持っていれば凡そ自由と呼べるべき自由を謳歌することが出来る」

友「本当はもっと焦るべきなのだろうがな」

 

僕「そうだな、正しい人間であろうとするならばさっさと職につくことが正しい。しかし取り敢えずそれは置いておこう。今話したいのはそれじゃないし、正論で叩かれると僕は黙ってそのまま石になる」

友「わかったよ」

 

僕「子供の頃はよくゲームをやっていたのに、大人になるとゲームをやらなくなる人間が居る。これはゲームに意義を見出せなかったり、ゲーム以外の楽しみを見つけてそっちに夢中になったり、集中力や目の辛さでとても出来なかったりと、やらなくなる理由は様々だ。そんな中で、僕がさっき言った『純粋にゲームが出来なくなった』というのは、そのどれとも違う。」

友「そうなのか?」

 

僕「だってそれらは『ゲームに興味がなくなった』んだろ?僕は今でもすごくゲームがやりたいんだよ。」

友「ならやればいいじゃないか。ああ、金がないか」

 

僕「金はないが、そこはさほど重要じゃない。何故ならあまり買う気にもなれないからだ」

友「? どういうこと?矛盾してない?」

 

僕「…ゲームってのは、娯楽だよな?」

友「うん、そうだな」

僕「じゃあ映画は?」

友「娯楽だろう」

僕「読書は?」

友「娯楽だ」

僕「じゃあ、ビジネスの啓発本を読むのは?」

友「う~ん…娯楽ではない、かなぁ。仕事に役立つこともあるだろうから、社会的に有益だろう」

 

僕「うん、僕も似たような感覚だ。じゃあ、今上げた中で最も娯楽っぽいのはどれ?」

友「それは、やはりゲームだろう。これは勝手な考えだけど、子供っぽいイメージがある。映画や読書は、勉強になることがありそうで、少し高尚になった感じだ。もし趣味を聞いた時、『ゲーム』と答える人と『読書』や『映画』と答える人がいたなら、後者のほうが頭が良さそうだ。無論イメージだけの話だ」

 

僕「まあ君は再三『イメージだ』と弁明しているから説明はいらないだろうけど、仰るとおりそれは勝手なイメージなんだよ。勝手に『ゲームは無益で読書は有益』って決めつけてるだけなんだ。ビジネスの啓発本だって読んで達成感抱いただけで結局なんの役にも立たないことだってあるのに」

友「ここまで来ると流石にわかってきたよ」

 

僕「僕は頭では娯楽に上下なんてないと考えている。読書も映画もゲームも、同じ娯楽というジャンルで同じ高さにある。そもそも役に立つか立たないかで物事を判断するのが嫌いなんだ。そのせいで今無能でいるという被害を被ってもいるが、承知の上だ。」

 

僕「しかし、心の方はそう思ってはいないようなんだ。つまり僕も勝手に、ゲームは幼稚で、読書のほうが高尚だと決めつけてしまっている。『ニートの分際で、ゲームをやってて良いのだろうか?でも読書なら良いかな、なんとなく有益そうだし。映画も良いね、ソーシャル系の映画は人生の活路を見出すきっかけにもなる』そんな考えで、純粋に読書は出来た。面白い本が読めてよかったよ。でも、ゲームをすることは出来なかった」

友「それは、辛いのか?」

 

僕「辛いというより、悔しい。あれだけ熱を注いでいたものに、いや今も冷めているわけでもないのに、心から楽しむことが出来ない自分の変化が悔しい。勝手なイメージでゲームを幼稚だと思っていることが悔しい。変に大人になってしまった感があって悔しい」

友「とは言え、ニートでゲーム三昧よりは良いに違いないだろう」

 

僕「その『良い』がわからないんだよ!その基準は、一体何から現れたものなんだ?無論ニートだって良くない。僕は今許されなくてもしょうがない存在だ。説教されても殴られても仕方ない。そんな『良く』ない立場であって、それでも僕はこれがそれほど『悪い』とも思えない。二浪した人間は今学生だ。彼らは浪人した時は説教されただろうが今は説教されない。就職留年した人間も留年の時だけで今は説教されない。そこに実質差はないのに、差がある。僕がやっていることを『これが俺の望む道だ!これが正しい道だ!』なんて豪語も出来ない。それは違う。それでいて『これはダメだ!絶対にあってはならないことだ!』とも言わない。どうしても宙ぶらりんな状態だ。中庸というほどのものでもない。この世に絶対的な物差しがないのであれば、そう確定的に物事を決定することは出来ない。少なくとも『世間の勝手なイメージ』という物差しで決めることは嫌なんだ」

 

友「『世間の勝手なイメージ』をこの世の絶対的な物差しとしている人間も多いな。それは結局多人数が納得できる正論だから、誰も反論が出来なくなってしまう」

 

僕「僕はその物差しがダメだと言ってるんじゃないよ。それも立派な物差しだ。それにそぐわないニートの僕は働かなくちゃいけないっていうのもわかる。ただもし、その物差しよりも優先すべきもう一つの物差しだってあるかもしれない。いや一つとも限らない。無限大にあるかもしれない。そしてそれがどんな物差しなのかみることすら出来ないのかもしれない。でも、それを無いものにするのはちょっと違うと思うよ」

 

・・・・・・・

 

友「何の話だっけ」

僕「ゲームが純粋に出来なくなったって話。子供の頃は、何も考えず出来たのにな。」

 

友「子供のほうが余計な物差しでものを測らなかったんだろうな」

僕「うん…あの頃はテレビの中に世界が広がってたんだよ。部屋にいるのに世界中旅してる気分だった」

 

友「結局、純粋にゲームをやるための解決策は見つからずか」

僕「もとより解決させるために話したのではないけどね。でも僕にとって一つの小さな夢になってるよ。」

 

 

 

 

 

いつか、あの頃のように純粋にゲームすることが。