人生はとにかく企業の人事に認められるために、社会的に評価されることをして生きなくてはならない。
人間は社会にでるまでに『人間力』を高めなければならない。
何故なら、人間力のない人間は企業に採用してもらえないからだ。
僕は今まで、好き勝手に生きてきた。
怠け者だった。
寝るのが大好きで、寝る余裕があればいくらでも寝ていた。
ゲームが好きだった。
ファンタジーの中で物語を体験するのは至高の時間だった。
漫画が好きだった。
ゲーム同様、そこには壮大な物語があった。疑似体験をし、感動できた。
アニメが好きだった。
映画が好きだった。
バラエティ番組が好きだった。
動画サイトが好きだった。
電子書籍が好きだった。
酒が好きだった。
ファミレスでの雑談が好きだった。
大学時代は、課題と部活とバイトの間にそれらを味わい尽くした。
楽しかったと思う。
世間的には怠けと捉えられるそれらは、僕にとってはとても楽しい時間だったはずだ。
だがそこに、成長はなかった。
当たり前だ。さっきから言っているが、それらの暇つぶしは社会的評価の低いものだ。
社会ではそんなことをして過ごした時間など無駄として捉えられた。
人間力をアピールできる点など何処にもなかった。
そもそも、僕は成長をしようと思ってそれらをやっていたわけではない。
ただ好きだったから、好き放題に貪っていた。
だから、アタリマエのことだし、それを悪いなんて少しも思ってなかった。
だって僕は、大学生活では失敗なんてしなかったんだ。
単位もちゃんと取った。部活にも出て、雑事はほとんど僕が熟した。バイトは、まあ褒められる働き方ではなかったかもしれないけど、それなり自分で稼いではいた。
だから、責められるべきことなどなにもないと思った。
でもそうじゃなかった。ダメだったんだ。普通に物事を熟しているだけじゃ人生はダメだったんだ。
何故なら、企業の人事はそういう人間を認めない。
「学生時代、何を頑張ったの?」
―部活の副部長を頑張りました。
「また、サークルの副リーダー?多いんだよね、そういう人…趣味は何かある?」
―ゲームとか、漫画とか、アニメが好きです。
「…それ、社会でなんの役に立つの?」
―趣味って、大体役に立たないものではないのですか
「…君、大学時代無駄に過ごしてきたんだね」
―………………
好き放題生きてきた、ツケが回ってきた。
普通に生きてるだけではダメだったんだ。
別に、誰かに認めてもらうために生きてるわけじゃない。
でも、誰かに認められなければ生きていくことは出来ない。
企業に認めてもらわなければ、生きていくことは出来ない。
この世の人間の命は、企業によって握られている。
だから、人生はとにかく企業の人事に認められるために、社会的に評価されることをして生きなくてはならない。
企業だって慈善事業じゃない。
有能な人間を社員として向かえなければ潰れる可能性だって十分ある。
だからこそ、少しでも素晴らしい人間を採用しようとする。
そうなれば、普通の人生をただ熟してきた人間には、どこにも行く場所などなくなる。
僕に、人間力はない。
そしてそれは社会には大罪とされることなのかもしれない。