天国へ行く為に。

天国は死ぬことと見つけたり。

ネット民が叩くことに「やり過ぎ」って言うの、もうやめない?

インターネットはとても怖いところです。

 

ネット民の標的になれば、すぐさま本名、学校名、住所、その他諸々を拡散されてしまいます。

ネット民の迅速な行動力、調査能力には感嘆せずにはいられません(標的が情報を垂れ流している場合が多いが)。

 

そしてこの様なことが起こると、必ずと言っていいほどこんな議論になる。

 

 

「やりすぎだろ!インターネットだからって何でもしていいわけじゃない!」

「何言ってんだ、こいつのしたことを考えれば当然だろ。徹底的に叩け」

 

 

う~ん、ほんとパターン過ぎて食傷になるほどです。どれだけやれば気が済むのやら。

今回の野球少年のアレでも同じようなことが起こってますね。

 

 

 

 

ええ、もうキレイなほどにパターンです。

 

でも僕としては、どうしても双方主張の軸としている部分が的はずれな気がしてならないのです。

 

 

 

◆罪の大きさは問題ではない

 

このお二方は、標的が「どれだけ悪いことをしたか」に重点を置いているように思えます。

前者は、

「彼は悪いことをしたが、住所を晒されるほどではない。」

後者は、

「どう考えても住所晒すほど悪いことをしている。」

 

 

 

と言った感じですが、僕は思います。

そこ別にどうでもよくない???

 

 

例えば、麻薬密売人がTwitterにいたとします。

「今日も頑張ってクスリ売ってきた!客の人とめっちゃ仲良くなったはwwww」

なんて写真付きでツイートしてたりしたら、その人の住所を晒すのはオッケーなんですか?

 

じゃあ援交しているJKとオヤジは?

裏口入学した生徒は?

信号無視をした若者は?

タバコをポイ捨てしたジジイは?

床で座っているギャルは?

 

 

……えー先に言っておきますと、私がいいたいのは

「どんなことをした人でも住所を晒してはいけません」ということ

 

 

 

ではないです。

 

 

 

そんな陳腐な優しい善良な市民の言葉なんて言いたくありません。

僕が言いたいのは、「良い悪いなんて人の感情で決めているいい加減なもの」だということです。

 

 

 

さっきツイートを見て下さい。

あの人達が言っていることって、超簡略化すれば、

「私は許せる!」「僕は許せない!」なんて言ってるだけなんですよ。

 

哲学者のヒュームは、「何が正しいかを判断するのは理性によって行われる」という合理主義の考え方を否定していました。

 

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mukankei961.blog105.fc2.com

 

 

そう。元々善悪なんて存在しなくて、人間はみんな感情で良いだの悪いだとと決めつけているだけなんです。

本当はそんなものありっこないのに。

 

 

ですから良い悪いなんてそもそもどうでもいいし、だから住所を晒すことが良い悪いというのもどうでもいいです。

 

 

 

◆例え悪事を成さずとも晒される可能性はある

 

今回の野球少年は悪事を為したから晒されているのだと思うかもしれませんが、それは違います。

 

悪事を成さなくても、僕たちは常に晒される可能性があるんです。

まずこのことをわかってないといけない。

 

やろうと思えば簡単に出来てしまうんですよ。僕でも出来ます。

だって今のSNS情報晒しまくってるやつばっかなんだもん。(僕も例外じゃない)

 

自分の部屋から撮った外の写真ツイートしてたり、学校名晒してたり、そもそも本名でやってたりしたら、誰だって特定できますよね。

じゃあなぜやらないのかって言われたら、やったって面白くないからです。

 

「このアカウントの住所はここです!」っつったって「いやそいつ誰だよ?」って誰も興味引かない。だからやらない。

 

やらない…けど。

やらないけど、やられても別に不思議じゃあないですよね。

 

そりゃあやった人の意図は不明ですよ。

でもこの世の法則的には可能なのは確定的に明らかです。

 

 

ですから今回の出来事も、良い悪いじゃなく、ただ起こったってだけですよ。

蛇口を捻れば水が出ます。ボールを投げれば転がります。人が歩けば前に進みます。SNSに個人情報を書けば晒されます。

ボールが転がるのを良いとか悪いとか言いませんよね。ただ「起こった」だけなんです。

 

 

もうこんな当たり前のことを良いとか悪いとか不毛なこと言うの止めましょうよ。

それよりもみんな、哲学しようぜ。