やりたいことがないということ
世の大人は子供に「自分のやりたいことを精一杯やれ」と言うが、やりたいことが見つからない人間にとってこれほど辛い言葉はない。
そもそも「子供はほっとけばやりたいこと勝手に見つけるだろう」という大人の怠慢が垣間見える一言でもある。
家庭は食事を提供するだけの場で、学校は学問を学ぶだけの場所。
人生において大事な考え方や精神というのは一体どこで学べば良いのやら。
僕も、間もなく大学を卒業するというのに未だに自分のやりたいことが見つかっていない人間である。
内定を得て意気揚々と社会に出て行く人間はみんなやりたいことを見つけているのだろう。
よくもまあ自己分析と企業研究がすんなり行くものだ。
僕はそれらをやっていくたび頭がこんがらがって何をすれば良いかわからなくなったというのに。
就活する前のほうが色々と定まっていたと思う。
◆会社=実業団
僕の中には 仕事=やりたいこと でなければならないという考えがあった。
それがなければ会社に失礼だと思ったし、僕自身活躍できる気がしなかったからだ。
会社は「スポーツの実業団」に例えると理解しやすい。
もし自分が選手として実業団に所属しているとしたら、まずのそのスポーツが好きでなくては話にならない。
嫌々そのスポーツを続けていても決して試合で勝つことは出来ないし、そもそも練習の時点で監督とかコーチとか先輩にボコボコにされることだろう。
だから僕は、正社員にはならなかった。
内定が取れなかったのだから、なれなかったと言ったほうが正しいのだろうか。
どの実業団のトライアウトにも合格することができなかった。
好きでもない種目のスポーツなのだから、受かるはずもない。
こうして、やりたいことがわからない無欲な役立たずになってしまったというわけだ。