いつか僕は友達を失うかもしれない
死に起きです。
いきなりですが、僕は魅力の無い人間です。
こちらで書いたように、僕には恋人がいません。できたことがありません。
それは人間としての魅力がないからです。
そしてこちらも書きましたが、僕には友人がいます。
親友の数を聞かれれば、3人と答えます。あちらは僕を親友とは思っていないかもしれませんが、僕は親友だと勝手に思っているような関係です。
正直、彼らのおかげで僕は生きていられると言っても過言ではない。
話したい時に連絡を取れば、都合をつけて話し相手になってくれる。それが僕にとっての救いです。
さて。話は少しそれますが、社会的交換理論という言葉はご存知でしょうか。
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こちらのリンク先にてわかりやすく解説されていますが、つまるところ、人間同士の関係はお互いに利益を与え合っている関係だということです。
もし相手が自分になんの利益も与えないなら、あなたは人間関係を築きをしないでしょう。
もし自分が相手になんの利益も与えないなら、相手は自分と縁を切ることでしょう。
結局人間関係は、自分に利益になるかどうかで決めているというわけですね。なんだか薄情な響きに聞こえますが、まあそんなものでしょう。
僕は大学生活において、人間は出来る限り損することを避け、得をすることならすかさず飛びつく生物だと身を持って学びました。
別にそれは悪いことではなく、当然の話。
ただ、誰かしら損をしなければならない状況になった時、真面目でいい子が仕方ないと損を請け負ってくれ、そして良いように使われることになるのは、ちょっと不本意な形ですね…
小学校の時だって、面倒な委員をやってくれたのは、いわゆる「いい子」だった。
すこし脱線しましたが、結局ボクが何を言いたいかというと
「僕は友達になんの利益も与えていないよな?」
ということです。
僕は能力がありません。人生経験も乏しいです。トーク力もなく、人を楽しませることが出来ません。
誰かと遊びに行けば「僕はなんて無愛想なのだろう。不快な思いさせてしまっただろうか」と考えます。
周りを見れば、僕より有能で光輝き面白い人間がごまんといるでしょう。
であれば、僕とわざわざ友人関係を維持する意味は果たしてあるのか?という話になります。
僕は上記の記事において、「魅力的でなくてもいいじゃないか」と書きましたが、
もしこの先同じ考えのまま生きていくとして、僕から友人が離れていく可能性を完全に無視できないことに気づいたのです。
正直に言います。それはヤバイ。
恋人はいなくても死にませんが、僕は友人を失えば間違いなく死にます。生きている必要性がなくなるからです。
であれば、僕は今友人である彼らが離れていかないよう、魅力的な人間であることを目指さなくてはならないのではないか?という考えに至りました。
少し行動が変わるかもしれません。
・・・しかし
友人に対して利益を与えるとは、一体何をすればいいのだろうか・・・・