オタクなら必ず経験のある『Post Anime Depression Syndrome』という病気とその患者の共通点
死に起きです。
意気揚々とMiitomoを始めたのに友人が誰一人やってないので全く面白くない。
さて、タイトルにも表記したPost Anime Depression Syndrome(ポストアニメディプレッションシンドローム)を知っているだろうか。
PADSと略され、日本では主に「アニメ燃え尽き症候群」と呼ばれるものだ。
アニメ燃え尽き症候群。
この名前からして、どういうものか察する事ができるのはやはりアニメ好きのオタクに多いことだろう。
そう、大好きだったアニメが終了した後に襲ってくる、あの虚無感である。
今まで一週間そのアニメを楽しみにしながら生きてきたのに、それが終わってしまう。
もう彼(女)らに会うことはない。会えたとして、いつになるかもわからない。
恋人を事故で亡くしたかの如く現実に絶望する…
それがPADSである。
「終わった!すっげぇ面白かったなぁ!」ではなく
「終わってしまった…これから何を支えに生きていけばいいんだ…」となる。
決して過言ではなく、本当にこういう状態になることはある。
実際、この現象についてはネットで多く語られている。
【雑談】アニメ全話見たあとの虚無感はどうしようもないとかなんとか【画像】 : ポンポコにゅーす
そしてこれはアニメだけでなくゲームでもよく感じられるものらしい。
さらにさらに、この症状は国内だけでなく海外にも見られている。
海外の反応プリーズ : 日本のアニメを見て、「PADS」という病気になっちゃう人がいるらしい!! 【海外の反応】
万国共通でこの感覚はあるものらしい。
僕?もちろん僕も経験あるよ。
僕がこれにかかったのは…
まずダンガンロンパ1・2
ダンガンロンパは日常パートがあるからそこでキャラの内面とか色々わかっていくんだけど、途中で好きなキャラが殺されたり処刑されたりして、それらを乗り越えエンディングに辿り着いた時の達成感と虚無感の入り混じった感情は凄まじかったね。
というかエンディング曲がずるいよ、これは。
あとは逆転検事2。
逆転系は1からずっとやってたけど、検事2が一番来た。
御剣がシリーズ通してずっと好きだったってことと、やっぱりこっちも色々みんなで頑張って乗り越えて来たっていう物語があるからだと思う。
ダンガンロンパみたいに誰か死ぬことはなかったからまだ良かったけど…。
◆虚無感の正体は?
じゃあ結局この虚無感の正体って何なんだろうと考えた。
「好きなキャラと会えなくなったから」とは前述したけど、それをもっと幅広く言うなら、
「現実に引き戻されたから」なんだよね。
つまりこの症状に掛かる人って、そもそも現実が楽しくないんじゃあ無いのかなって。
確かに、楽しい時間が終わるのは誰であっても辛い。
しかし、もしその人が「今生きているこの現実が楽しい」と思っているならば、そこまで落胆はしないと思うんだ。
楽しい時間が終わった後でもやっぱり楽しいからだ。新しい楽しさが始まるからだ。
しかし、現実が辛く物語に安息を求めている人であれば、これは相当に辛い。
現実と物語のギャップが大きすぎるからだ。
さながら薬を失った中毒患者のよう。
僕もどちらかと言えばこちら側で、経験したから言うが、下手したら身投げする可能性だってぶっちゃけまるで否定出来ないものだとさえ思っている。
これが原因で自殺している人間が本当にいたかどうかは知らないが…。
◆物語を渇望するのは危険な生き方
まあ身投げしないにしろ、果たしてこの生き方は健全だろうか。
現実が辛く、癒やしのために物語を補給し、それが終わればまた苦しみ別の物語を探す…
本当にその生き方でいいのかと。
なまじ辛いだけではないか。
僕が逆転検事2をやり終え、PADSに陥っている時、どこか違和感というか、気づくところがあったんだ。
僕には欲と言うものがあまりない。
あっても俗的なもので、自分の人生をかけて何かをしようという高尚な欲は持っていない。
しかしこの時は、自分の命を投げ出してでも行いたい心の底から湧く純粋な欲望があった・・・
この世界に入って行きたい・・・・!
もう好きすぎて。キャラが魅力的すぎて。
僕も登場人物となって、検事局出入りしたいってホンキで思った。
まあ、一般人からすれば狂気…
現実とゲームの区別がついていないとか大人から言われても否定出来ないほどの馬鹿げた夢…
とは言え、僕も本当に狂ったわけではない。
ゲームの世界に行けないことなど当たり前にわかっているし、妄想でもこの年でそんなことはしなくなった(昔はしてた)。
だからなおのこと辛かった。
また新しいゲームをやって、この辛さを味わうのはもううんざり…
だからどうにかして、この辛さを軽減させる方法を考えていたんだ。
答えは「現実を楽しくすること」だということは既に言った。
じゃあ具体的にどうすればいいかというと・・・・!
僕が御剣怜侍になればいいんだよ!!!!
もちろん、そのままの意味ではなく。
◆物語が好きなら創ればいいじゃない
PADSにかかる人は、みんな物語が好きなのだと思うんだよ。
物語のないアニメ、ゲーム、漫画というものはそもそもないし(作業ゲーは除く)、あってもそんな作品が終わったところで喪失感など抱かないだろう。
喪失感を抱く作品とはつまり、心奪われた作品だ。
傑作の物語でしか、この感情は抱かない。
そしてもし、物語の世界に入りたいというのなら、
今自分が存在しているこの世界を物語の世界に変えてしまえばいい。
終わりが辛いのならば、終わりのない…たとえ終わったとしてもその時自分の意識は既にどこかへ行ってしまっている物語の住人になればいい。
それこそがPADS患者の特効薬であり、最高の人生を歩むための最終目的であると言っても過言ではない。
◆ただ「現実を楽しめ」と言っているのではない
今言った言葉は言い換えれば「もっと人生楽しめよ!リア充になれよ!」と言っているように聞こえるかもしれないが、それは全然違う。
なぜならば、物語は必ずしもハッピーエンドではないから。
ダンガンロンパなどは、そもそも死人が出すぎだ。
死んだキャラの中に主人公の好きな人もいて、絶望するほど辛かったに違いない境遇のものだっていくらでもある。
しかしそれでもその作品が好きだというのなら・・・・
要は僕たちは『幸福』を目的にしているのではなく『劇的な物語』を目的にしているのだ。
その為に生き、今ここに立っている。
例えば、シュタインズ・ゲートなんか、PADSになると名高い作品であるが・・・
あれは良い物語だ。
トゥルーエンドでみんな幸せになったのが良い?いやいや違う。
主人公に使命感があったのが素晴らしい。
あれには僕は羨望を抱いた。
誰かの命のために奔走する。それが好きな女ともなれば、不謹慎かもしれないが、ある種の幸福ではあるのだと思う。
つまり、そういう経験がしたい。少なくとも僕はそう思うのだ。
◆その物語はどうやって創るんだ?
世界は平凡か 未来は退屈か 現実は適当か
安心しろ。それでも、生きることは劇的だ!
さてしかし、本当に生きてるだけで劇的か。
何もせず、何も考えず、親のすねを少しずつかじり、生きながらえるものでも劇的か。
そこまででなくとも、正社員として社会で真っ当に生きていくことができればそれが劇的か。
・・あるかもしれない。しかしそうでないかもしれない。
その確証が持てない限り、僕はPADSになる。
劇的な物語ならば、劇的ななにかがなければいけないという先入観も入っている。
・・・しかしまあ正直に言って、どうすれば劇的になるのか今はまださっぱりわからないのだ。
ここまで引っ張っておいてこんな様だが、僕にとっては「幸福ではなく物語を求めている」ということが分かっただけでも大きな収穫だったのだ。
それを忘れないために、ここに書いた。
僕らは剣も持てないし魔法も使えない。
異世界に飛ぶことは出来ない。
モンスターは草原にいない。
タイムリープできない。
意識失って学校の中に閉じ込められない。
殺し合いさせられない。
孤島に取り残されない。
ヒロインが誘拐されない。
しかしそれがなくとも、劇的ななにかはあるに違いない。
もし自分の好きな作品があるのなら、それを分析して同じような世界観を目指していけばいい。
ギャルゲが好きなら、現実にいい女を彼女にすればいいって話だ。
死ぬほど難易度高いと思うけど・・・・
◆まとめ
・現実が辛いとPADSになりやすい
・PADSになる人は物語を欲している
・PADSになりたくなかったら、自分の人生をPADSに出来るように頑張ろう
まあ…何一つ解決策もないんだけど……もしあったら書くし…もしあったら教えてください…
ここまで読んでくださって本当にありがとうございました。