悩んでいたあの頃と悩まなくなった今は一体何が違うだろう。
記事を書くのは1年ぶりと少し…ですか。
こんにちは。死に起きです。
もう全然記事更新してないのに、過去の記事に共感してコメントしてくださる方もいて、本当にありがたく、同時に驚いています。(コメントまだ返してなくてすみません記事書き終わったらすぐ返信します)
ネット上に自分の悩みの答えがあるのではないかととにかく検索しまくることってありますよね。
僕もそうでしたし、こんなほっっそぼそと書かれた記事に来るということはコメントくださった方もそうだったのではないでしょうか。
誰かが共感してくれたということは、僕も共感できたということ。
記事を書いていた当時の僕にこんな優しいコメントが届くことを教えたら、きっと救われたことでしょう。
急な記事の更新ですが、特に理由はありません。
ただ、コメント貰って自分の記事を読み返してみてこう思ったんです。
うわあ俺すげぇいっぱい文字書いてる
いや他の人の記事とか見るとこんなの足元にも及ばないくらい大量に書いてるんですけど、
実は僕最近全然文字書かなくなったんですよ。
いやもともとあまり発信とかするタイプではないんだけど、最近は本当にそれが顕著。
仕事上そうなっちゃうって言ってもいいのかな。
僕は今動画編集のバイトをやっています。
といってもテレビみたいにいっぱいテロップ出したりとかはなく、本当に簡単な仕事で、正直これでお金もらえてるのはありがたいとしかいいようがないです。
なので編集中も文字を打たず、メールなどもほとんどないです。
周りとの意思疎通は軽く口頭で伝えて終わり。
故にそこまで論理的に組み立てる必要もなく、正しい言葉遣いもほぼ使っていない…
…なんというか、就活のときは哲学書読んだり、悩んで悩んで、ウンウン唸って、
頭の中に文字列がバーっと駆け抜けていって眠れないときとかもあったのに。
今ではなんだか、考えることが減ってきたように感じるんです。
◆考えてないから、感動してない。
例えばですね、以前こんな記事を書きました。
………………(再読中…)
結構面白いなこの記事!!(自画自賛)
この記事を書いたときの僕はPADSにかかってたのかなぁ?ダンガンロンパやったのはもっと前の話だったと思うけど…
PADS(アニメに限らず作品が終わったあとに感じる喪失感をこう呼ぶことにする)にかかるってことは、結構深くまでその作品に浸かってる必要があるんだよね。
映画とかは短すぎるからPADSにはなりづらい。
長編漫画の一気読みや、ストーリー性のあるゲームなどが引き起こしやすい。
んで、さっきふとこう思ったんですよ。
最近PADSになってないなぁ って。
きっかけは最近僕がハマってるこのゲームのせいですね。
僕はファイアーエムブレムが大好きでして。
一時期飽きたこともありましたが今ではデレステをアンインストールしてこちらをやりまくる始末。
っていうか今日のニンダイ、ファイアーエムブレム風花雪月の情報なかったんですけど??????
このゲーム、ゲーム性がすごく好きなんですよ!
簡単に説明すると狭いマス目のチェスみたいな感じで、駒それぞれがスキルを持っててそれを利用して戦うというものです。
ただね、まあ今日もアップデートされて新ストーリー追加されたんですけど、
ストーリー全然面白くなかったです。
いや、わかってます。
このゲームはあくまでゲーム性に重きを置いている。
ストーリーはあくまでおまけみたいなもので、無料のゲームにそこまで求めるのはあまりに酷すぎると。
でも、ストーリー見たあと思っちゃったんです。
つまんなかったなぁって。
僕、ストーリー見て「つまんなかったなぁ」って、なかなか思わないですよ。
ゲーム性に飽きてすぐアンインストールするゲームは数あれど、ストーリーでこう思ったって、僕の中ではなかなか衝撃で。
別に特別何が悪いってわけじゃなかったんですけどね。
だからゲームを貶めることは言いません。そもそも好きなゲームだし。
でもこの感想から、「PADSになってねぇなぁ、なりてぇなぁ」って思ったんです。
◆思ってるよりも言葉から遠ざかっていた自分に気づく。
僕にとって、感動というのは物語です。 物語とは、文章で構成されるものです。
つまり最近感動してないってことは、文章に触れてないってことなんです。
正直全然自覚がありませんでした。
でも考えてみれば、僕は空き時間にCGの勉強をしているのですが、CGの制作に文章って入りませんし、
英語の勉強もしているけれど、それも簡単な英語をすぐに言えるようにする練習をしているだけなので文章に触れているとは言い難いかなと…。
あとは週5で筋トレしてますけど、まあ筋トレしてるときは何も考えてないので言わずもがな。
そしてめっきり本も読まなくなりました…
テレビで林修先生やメンタリストのDaigoが読書の素晴らしさを語っているのを見ると、すごく申し訳ない気持ちになってしまう…。
そんな感じであまりにも文章に触れてない自分にびっくりして、「ちょっと久しぶりに文章を書いてみようかな」なんて気持ちで久しぶりに記事を更新したというわけです。
でもぶっちゃけここまで書いて、相当構成めちゃくちゃだなって思ってます。
あーでもやっぱり文を書くって頭使うなぁ。
◆今の僕は、あの頃ほど悩まなくなりました。
コメントをくださった方は、こんな記事を見て失望したかもしれません。
みなさんの共感は「思慮している僕」に対してされているように思えたので、
『最近は考えなくなっちゃいました、めっちゃ筋トレしてます』なんて言われたら
「あのとき悩んでたお前は何やってん!!!」ってなりますもんね。
でも正直に言うと、僕はあの頃からだいぶ変わってしまいました。
この先の人生を、あまり悩まなくなってしまいました。
「とりあえずこれをやって生きていこう」と思えるもの、なんとなくであっても、僕はそれを見つけてしまったからです。
さっきも言いましたが、僕は動画編集の仕事をしていて、合間にCGの勉強もしています。
できることなら、映像業界でやっていきたいと思っています。
正社員として映像業界に揉まれるでもなく、独学でやっているだけなのでやる気としては褒められるところまで言っていないかもしれませんが、
もうこうなってしまうと後戻りできないので、これをやるしかないんです。
僕は今25です。
若いとは言えなくなってきました。
でも、もう遅いとも嘆くほど諦めきれる年でもないんです。
僕は確かな決意があってこの道を選んだわけではありません。
就活失敗してニートになったとき、たまたまコラ画像を作って遊んでて、
じゃあPhotoshop使う仕事なんかどうかななんて軽い思いでバイト応募して、
そこで初めてPhotoshopとPremiere(動画編集ソフト)触って、
数ヶ月して辛くなって辞めて、
今の会社に入って、
一年ほど経ちました。
なんとなく流れていたら、こっちに島が見えるな、たどり着けるかわからないけど他の島より近いから泳いでいってみようかな、みたいな感じなのです。
CG制作のために新しいパソコンを買いました。
高い買い物でしたが、後悔は何一つしませんでした。
パソコンを買ってから金がほしいと思わなくなりました。
パソコンが手に入ったので、もうこの他に必要なものなど衣食住代だけだと思いました。
もとからインドアでしたが、勉強のためにもっと出かけなくなりました。
悩まなくなったということは、正しい道を見つけたということではありません。
数多の選択肢の中から、「これはどうかな…?」と少し手を伸ばし、「とりあえず今はこれをやるしかないか」と多少の諦めと共に歩き出したということです。
それに、全く悩まなくなったわけではありません。
何度か振り返ることはあります。
あの道を選んでいたらどうなっていただろう、もっといい人間になれたかな。
もっと家族を幸せにできたかな、なんて。
「後悔するな」「過去を振り返るな」
こんな言葉をよく聞きますが、僕はそんなことは無理だと思いますし、別にいいんですよ。
たまに振り返りましょう。そしてその都度諦めましょう。
諦めきれなければ引き返しましょう。そこまで行って引き返せる勇気があるのならきっと出来ます。
哲学本ももうあまり読んでないですが、かといって哲学から完全に離れる気はさらさらないですよ。
今でも生きる意味は考えます。
別に筋トレや映像制作が生きる意味だとも一切思ってないです。
でも、続けられるものができたなら続けてみよう。
少なくともこれらによって損することはないだろうと思うから。
なんだかよくわからない終わり方ですみません。
また何か批判でも共感でもコメントいただければ幸いです。
ちなみに東京オリンピック終わったらすべてを投げ出して海外に行こうと思ってます。
口だけで終わるかもしれないけどね。
でも「所詮この世は只の夢」っていう考えは………ああ、それはあの頃と変わってないですね。
良かった。
ここまで読んでいただきありがとうございました。