今までそんな事は考えたこともなかったけど、結局僕の思う一番の幸せとは、パパとママとおにいちゃんとみんなで一生老いずに光の中で生き続けることなのかもしれない(気持ち悪いコンプレックス注意)
「バラは私の母の腕、バラは夏の暖かさ、バラは明るく照らされた電車の中に座っていて、電車は暗い雷雨の中を突き抜けていく…」
誰もいない部屋においてある一つの受信機。
数年ほど置かれているが、こいつが何かを受信することは滅多に無い。
ただ、ごくたまーに、何かの拍子で受信することがある。
前回受信したのは2019年の12月だったかー……
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みたいなもんだね、このブログも。
僕は文を書くというのは普段全くしていないので、ブログを書くということ自体も当然少なくなるのだが、こうやってふとした瞬間に戻ってきたりする…
立派なおとなになるためには、しっかり文章も書けたほうがいいのだろうけど。
死に起きです。死に起きたわけでもなく、ただ死なずに生きておりました。
なんだかんだ過去の記事というのは見ていて面白いものですね。
最後に記事を書いたのは…そうか、動画編集の仕事をやめざるを得なくなって、3DCGの勉強を始めだした頃か。
懐かしい。あれはあれで幸せな時間だった。
いつもそうだな。当時はそうはあまり感じなかったのに、今思うととても幸せだったのだと気づく。
ノスタルジイ。その感傷に浸ること自体は余り嫌いではない。
だがいい大人のする趣味ではないな。そろそろ辞めにしなきゃね。
今はその勉強の甲斐あって、一ヶ月前から3DCGのモデラーとして働いています。
派遣社員だけどね。
28歳にして初めてフリーターを脱却。
派遣社員として週5、8時間勤務を人生で初めてやっています。
おっそいよなぁ。
友達はみんな給料がどんどん上がって結婚しだしている頃だというのに、僕は今がペーペーで下積みの時代。
おまけに一人暮らしも初めてで、これが予想外の事が多くて結構しんどい。
契約期間が終わったら更新せずに実家に帰ろうと思ってます。一人暮らし自体はまたするかもだけど、ここに居続ける気はサラサラ無いな…。
ということで、まあ現況報告でひと記事書くのも一興だけど、今回も僕の思考の整理のためにここを使わせてもらう。
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○子供の頃へ。
新生活で一気に環境は変わった。
こういう時、例えば地方から上京してきた新卒のひととかは、一人暮らしも辛くて、友達もいなくて、仕事は辛くてもう家を引き払って帰りたいって考えになる人は、毎年一定数いるはずだ。
もしそれで帰っちゃうと、引越し費用とか親の期待とか借金とか新卒カードとか色々ダメージ受けちゃって、自分が情けなくなって泣いちゃったりするよね。
新生活ってギャンブルがすぎるんだよね。
ただでさえ就職がギャンブルなのに、そこに新住居のリスクとか重なるとむしろ失敗のほうが多くなるんじゃ無かろうかと思う。
僕の場合はとても幸運なことに、仕事に対しての苦しみというものが全くと言っていいほどない。
人と環境にものすごく恵まれている。
プレッシャーはあるが、これはクリエイターとして仕事をする以上むしろ必要なものだと思っている。(派遣切りは死ぬほど怖いが)
だが僕は住居選びの方で失敗した感がある。
狭すぎてPCのデスクの下で寝るような生活。
料理なんてさせる気のないキッチン。
本当にPCと寝るだけの部屋。
これは結構なトレスにはなっている。
僕はもともと全然働いていなかったので、金にかなりシビアに考えた結果こうなった。
第一候補の物件が合ったのだが、仲介業者の手違いで他のやつに取られた。クソが。
そもそも不動産関係の人間はどうにも信用したくない。
仲介業者も管理会社も地主も全てだ。
人が住むのにこんなに金を払わなくてはならないのか。チクショウ。当たり前だと思っていてもやはり実家に比べて圧倒的にランクが下がったのでそれなりの辛さは感じている。
だが引っ越してきてとてもいいことがあった。
故郷が恋しくなったのだ。
つまり、母親、父親、兄弟、または角の先が想像できる見慣れた風景、代わり映えのない飲食店、地元民しか使わないスーパー、なんの仕事しているんだかわからない会社…
それらが一気にとても大切な存在に思えた。
うん、一人暮らしはじめた人間がみんな思うやつだ。特別なことじゃない。
僕は、マジの僕は一生知らない土地に行きたくない人間なんだ。
つまり、見知った人と、なんでもない日々を、平和にずっと暮らしていければそれでいいじゃないか。
コンビニバイトのフリーターだって良かったんだ。ホームセンターのバイトでも良かった。
未来なんてない仕事だったとしても、家族みんなでずっと暮らしていければそれで良かったじゃないか。
親は心配するかも。喧嘩もしたかも。でも兄には子供が生まれて、それから親はとても幸せそうになった。
親の人生は孫が生まれたおかげで新しく始まった。もう僕ら子供をどうこうする時期は終わりを告げたのだ。
それなら僕が地元のコンビニでずっと働いていたって、たまに孫が来て一緒にあやして生きていくだけでも幸せだったじゃないか。
ここまでして東京に出てくる必要性なんて果たしてあったのか?
僕はずっと前から天国に行きたいと思っていた。このブログのタイトルはその現れでもある。
天国は何の不安もない楽園だ。一緒にいたい人と一生、いや死ぬことなく永遠にそこにいられる。
こんなことは実家にいたときは考えてもいなかったのに、一人暮らしを始めてからそのビジョンがとても強くなってしまった。
「CGを上手く作れるようになって海外に行く」という夢もある。
と同時に、「向上せずに家族でずっと生きていく」という夢も微かにできてしまったのだ。
本当にこんなことは考えてなかった。
…いや、思い返せばその片鱗はあったかもしれない。
大学に向かう時、あるいはバイトに出かける時、その道すがらで草むしりをしているおじいさん。
街の職員なのか?詳しいことは知らない。
でも晴れた日にあんな感じで、地元を綺麗にするために仕事をして生きていけるなら、なんて幸せなのだろうと考えていたことはあった。
まあ僕がそのおじいさんくらいの歳になったら、もう家族はいないのかもしれないけど。
えっと、結局僕は、故郷の街が好きなんだ。これは住んでてもずっと思ってた。
そして家を出たら、家族も好きだったことに気がついたんだ。
嫌いなところもあるかもだけど、そんなのは別にあったところで差し支えないような話で…
天気のいいお日様の下で、光の中で、みんなでお出かけして生きていきたいだなんて、こんな歳になってまだ思っている、この絶望がわかるか?
書いてて自分が情けなくて泣きながら書いているよ。
言っておくが、土日に実家に帰って家族に会いたいとか、そんな話ではないんだ。
僕はPCがないと生きていけない存在なんだが、実家に行ったら当然僕のPCがないので、多分それはそれで辛い。
わざわざ会って話したいとかじゃない。
一番いいのは、やっぱり実家にPCがあって、仕事はちゃんとして、それが終わったら一緒に御飯を食べて少し話をしたり、掃除したり洗濯したり、そういう何気ない時間を共有するのが一番丁度いいんだと思う。
わざわざ一日使って会いに行って話すことは特にないんだ。
それならCGや英語の勉強をしたいと思ってしまう。
実家に帰って勉強をするのも何のために帰ったのかわからなくなる。
だから、最初っから一緒に住んでいるのが丁度いいんだと思うんだよ。
子供の頃に戻りたいんだ。
そんなことみんな一度だって考えただろう?
何の不安だってなかったんだ。
ゲームなんてなんであんなに楽しかったんだろう?
嫌がってた勉強だって、今ならちゃんとやるよ。
明日だってちゃんと早起きするから。
だから、みんなで映画でも見に行こうよ。買い物でもいいよ。
僕、いっぱい荷物持つよ。
お昼はみんなでフードコートに行くんだよ。びっくりドンキーもいいね。
帰ってきたら順番にお風呂に入って、牛乳を飲みながらテレビを見るんだよ。
それからね、それから・・・・・・・
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・・・はっ
しまった。過去への羨望が強すぎて、書いているうちに精神が幼児化してしまった。
ギャグのように書いているつもりで、手の上は涙でびしょ濡れである。
文章を書くのはメンタルに効くとはよく言うが。
自分の思いは文字にしても声にしても、一緒に感情が出てくるものだ。
うん、勘違いしないでほしいのは、僕は今の生活がめっちゃ辛いわけではないのだ。
むしろ思っているより心臓が痛くなくて(僕は辛いことがあると昔から心臓が痛くなる)、拍子抜けしているところもある。
28年実家だったんだ、正直もっと辛くてダメージを受けるかと思っていた。
それでも実家と故郷への憧憬は消えない。
僕はどれだけ幸せでも死にたいと思うだろうし、子供に戻りたいと思うだろう。もはや病気と言ってもいい。
…本当に病気かもな。
誘惑は常にそこにあり、常に素晴らしいものだ。私も夜中に目を覚ましたまま横になり、あらゆる後悔と、犯してきたあらゆる過ちのことを考えることがある。
幾つかの悪夢と引き換えに、私は自分の罪を洗い流してもう一度人生をやり直すことができるかもしれない。
私の終わりは私の始まりになる。
そんなことを試そうなどと思うな。(中略)過去の自分へと逆行し、人生をやり直す。誰でも一度は考えたことがあるだろう、あの時に戻れたらと。
だが、それを実行してしまえばどうなる?「今」の自分が「あの時」の自分を殺す。「あの時」の自分が思い描き、抱いていた全てのものは、「今」の自分にとって代わられる。
「あの時」の自分を知っていた人々の中から、「あの時」の自分がいなくなる。「あの時」の自分の皮を被った「今」の自分になる。それは、「今」の自分の完全なる否定、これまで歩んできた道のり、「今」の自分を愛して支えてくれた人々を無に帰すことに他ならない。
やり直しのきく物語を人生とは呼ばない。
今ここにいる自分は、今ここにいるたった一人だけだ。
これでも十分でないというなら、覚えておくがいい。バラ園が与える快適さは非現実的なものだ。真実からの逃避だ。
我々は皆、物事が暖かく単純で、夏の太陽と冷たい草に満たされていた日々に戻りたいと思っている。我々は皆、もう一度光の中で暮らしたいと思っている。
だが我々は皆、選択をして、誓いを立てたのだ。
(中略)
我々は一人残らず暗闇の中で死んでゆく。
それを、受け入れろ。
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またいつかお会いしましょう。