天国へ行く為に。

天国は死ぬことと見つけたり。

【思考の整理】仕事ってどこまで意識の高さを求められるのだろうか

 死に起きです。

タイトルに【思考の整理】と書いてありますね。

カテゴリーにもありますが、タイトルに【思考の整理】が入っている記事は、誰かに伝えようとして書いたものではありません。

自分が自分の思考を確認するために書くものなので、色々めちゃくちゃです。

今後も何回かこういう記事があると思うので、見るに耐えないと思った方は無視して下さい。

 

今回の記事は過去を思い出しつつ感情的に書き殴った文章です。

覚悟してお読み下さい。

 

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【国とは遊園地である!-前編】国ってなんの為にあるの?

死に起きです。

 昨日、家に国民年金の書類が届きました。

 

あの誠に恥ずかしいのですが…

 

僕、年金というものがどういうものか、全く知りません。

なんとなく国に払うんだろうな、レベルです。

 

23にもなって、いやはや全く。

みんなどこで年金の勉強とかしたのかな。

 

僕は昔から社会が苦手でね…

歴史、地理、政治経済は本当にダメダメだった。

倫理はまだ良かったんだけどな。

 

というわけで、年金のことについて調べてみたわけなのです。

 

 

 

◆年金は老後の自分と家族のためにある

 

まず何のためにあるのか。

 

①老後の自分のため

自分が老いて、働けなくなったときに生きていけるように国に一旦預け、後で返してもらう。

まぁ本当に払った分返してくれんのかよって信用がもうないですよね。

僕も払いたくない。

 

それだったら自分で貯金して管理するほうが安心できますし(それが出来ない人のための制度なのだろうけど)、

もっと大きな理由は、そもそも僕はそこまで長生きする気がないからです。

長くて30代前半、短くて20代前半に死にます。

気持ちとしては明日死んでもいいくらいのつもりで生きているのですが。

 

生きている理由が見当たらないのにそこまで生きながらえても仕方がない。

ああ、こうなると自分が長生きしない理由を書きたくなってくるが、それはまた別の記事にしよう。

 

②家族のため

保険みたいなものでしょうか。

損失が大きくなり過ぎないための処置ってところでしょうね。

僕は結婚する気もないし、子供作ることなんて絶対、なにがあっても避けるべきだと考えているのですが…

ああこれもまた別の記事に。

 

ともかく親はいるのでその為に…って親より先に死ぬ前提だなこれ。合ってるけど。

 

 

 

 

と、この二つがこの制度の存在理由なのですが…本当にいるのか?これ?

正直払いたくない人のほうが多いと思うんですけど。

 

 

 

◆しかし、義務である

 

市民、選択権はありません。金を払え。 

年金って義務だったの、知りませんでした。

 

兎角この世で生きるには金がかかるな…

 

もし支払わなかった場合も調べてみましたが、わかりやすく言えば黒服が家に突撃してくるって感じみたいですね。

カイジかよ。

 

思っているより僕たちは国によって管理されているのですね。

改めて意識するとちょっとおもしろい。

 

 

とは言え、そこまで僕は否定的じゃないんですよ。

 

なぜかって、そりゃ集める側が強者で、支払う側が弱者だから。

僕は銀と金という漫画がだいすきなのですが・・・

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この後ろのおじさん、平井銀二は主人公にして最高の悪者。

 

第1話では行き詰まった人間たちに金貸しを行っていたが、もちろん立派な金貸しじゃない。

契約書にカラクリがあり、どうあがいても借りた分より多くの返金が必要になる。

 

銀二

「裏金つまもうなんて連中の運命は三つしかねぇんだ。

しぼられるか 奪われるか 殺される!」

 

それを見たもう一人の主人公、森田はこう思う。

 

この人達は____

羊だ・・・処刑場に連れて行かれる羊・・・!

そして罪人のように頭を下げる

その理由は ただ金を持っていないということなのだ・・・

 

どんなに真面目に働いても 金を持たなければ罪人!

 

そう。弱者は絞られて当然なのです。

この世は善がまかり通るわけじゃない。

強者がまかり通る。

 

僕は物事を善悪ではなく強弱で判断します。

なぜなら善悪の基準というものはひどく曖昧で偽善的。

箱を開ければ自己中心で、とどのつまり自分が得をしたいという欲求によって成り立っているのが大半だからです。

 

その点、強弱に曖昧はない。

とてもわかりやすい。

 

しかしどうにもインターネットを見ていると、弱者が善をかざして悪の強者を叩いているのを多く見かけます。

全くもってお門違いだ。

結局弱者は口だけ達者で強者を引きずり落とすことも出来ない。

それは、僕自信が弱者だからこそわかることでもあるのです。

 

人間に善悪はない・・・

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閑話休題…話を戻します。

 

 つまり年金は、システムとしては正しくないが、強者が金を集めるために行う制度としてはどうあってもどうにもならないということです。

僕たちは国という強大なもの管理下にある。

 気に入らないなら、クーデターでも起こせばいい。

 

 

 

 ◆国ってなんだ?

 

 さてここらから、本題へと入っていきます。

 

そもそも、国ってなんでしょう?

 

みな漫然と国の庇護下で生きていますが、疑問に思いませんか。

何故国が発生したのか。

 

だって元は摩天楼が連立するこの都会だってただの野原だったはずです。

動物がいたかもしれません。土は柔らかく、石が転がりまくってて歩きづらいことこの上ない。

 

そこに国という境界はなかった。県も市も。

人間はいっぱいいたかもしれないが、しかし何故そこから「国をつくろう」と思ったのか。

 

検索してみたところ、おおなんと、まさに僕の思っている質問が投稿されておりました。

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初めてコメントを貰えたことの嬉しさを語ります

死に起きです。

 

朝起きてGmail確認してみたら、先日書いた記事にコメントが来ていると通知がありました。

「コ、コメント…!怖い…!何書かれているの…!?」

ビビりながらもブログを確認してみたのですが……

 

あれ……?

 

コメントがなくなっている……?

 

 

 

こちらの設定で見れなくなってしまっているのか?

しかし記事の管理画面で見てみてもコメント数0。

サイドバーに新着コメントの欄を出しても何もない。

 

おかしいな…なんでだろう。

コメントが書かれてから大して時間も経っていないのでコメント書いてくださった方が消したとも考えづらいのですが……

 

すみません、コメントくださった方、もし消したりしていなければもう一度コメントして頂いてもよろしいでしょうか。

とても嬉しいものだったために、反映されないのはものすごく惜しい…。

 

 

一応Gmailの方に内容は残っているので見ることは出来ましたが、一応内容は具体的には伏せてコメント返し致します。

 

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人生は苦しむもの VS 人生は楽しむもの

死に起きです。

 

僕たちは一体何のために生まれてきたのか。

人生はなんの為にあるのか、ということを考えるのは全人類のテーマであると考えています。

 

 

その答えは各人それぞれ出していますが、それを大きく二分するとこうなります。

 

『人生は苦しむもの』

『人生は楽しむもの』

 

さて、それぞれの意見はどのようなものでしょうか。

 

 

 

◆『人生は苦しむもの』 修行を通して魂のレベルを上げる

 

まず、この世は仏陀の言うように苦しみであふれています。

四苦八苦。

生・老・病・死が四苦。

それに愛別離苦怨憎会苦求不得苦五蘊盛苦が加えられて八苦となります。

生きていれば苦しみは避けられない。

 

ではなんの為に苦しみが存在するのかというと、それによって人間的成長を発生させるためであります。

 

社会は若者に成長を求めてきますが、つまりこれは存分に苦しめと言っているのであります。

 

ではなんの為に成長しなければならないのかというと、魂のレベルを上げるためであります。

 

魂のレベル上げることに依って、死後天国へ行くことが出来ます。

もし地獄に落ちたくないのなら、あるいは無になりたくないのなら、現実世界で善行を全うし、天国に行く資格を得なさいと。

この世は天国へ行く人間の選定試験であるということです。

 

 

・・・・・・・・・・

まあ「苦しみ派」の人もそれぞれまた違う考えを持っているとは思いますが、大体は「苦しむことによって成長を促す」という軸があると思います。

 

 

 

◆『人生は楽しむもの』 せっかく生まれてきたのだから

 

私達が自殺をせずに生きている理由、それは人生が楽しいからです。

 

苦しい世界であるならば、さっさと自殺をすれば楽になれます。

実際にこの世は苦しいものですが、しかしそれよりも楽しいことがあるからこそ私たちは生きているのです。

 

何故無理に苦行を行い、わざわざこの生をより苦しい方に変えてしまうのか。

 

この世は試験などではありません。遊園地です。

 

もちろん楽しむためには相応の行動が必要ともなりますが、遊園地の中ではそれすらも楽しいものではないでしょうか。

 

死後に天国へ行けるかどうかなど、誰も分かりはしません。

どうなるかわからない不確定要素に目を向けるのではなく、今この時に目を向けましょう。

もしかしたら、この世を一番楽しんだ人間こそ天国へ行けるのかもしれませんよ。

 

 

・・・・・・・・・・・・・

ある人から見れば、刹那主義のぬるい考えに見えるかもしれませんが、こういう人のほうが実は苦しむ人よりも強かったりするんですよね。

 

 

 

 

◆完全に二分は出来ない

 

ここでは大雑把に二分しましたが、人間はこうも完全に二分することは出来ません。

グラデーションのように、苦しみ派の人でも濃い色にあたる人もいれば薄い色にあたる人もいる。

 

つまり、苦しみ派の人も人生を楽しむことはもちろんあるし、楽しみ派の人も苦しみを完全に避けて生きることは不可能でしょう。

 

 

◆やり方も違う

 

 楽しむ派でも、楽しむやり方が異なる人もいます。

本気でゲームをやることが楽しい人もいれば、娯楽としてただやるのが楽しいという人もいます。

別々のゲームを楽しむ人もいます。

 

 

完全に二分も出来ず、やり方も違う。

ということはつまり人生とは。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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投げやり?

いやいや、これは1つの答えとして成り立っています。

つまり、「生きることにはそもそも意味が無いのではないか?」ということ。

この世界があるのに目的はないし、自分が生きていることに価値はない。

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虚無主義的思考。

これが気に食わないというのなら、ではもう一つの僕の意見を聞いて下さい。

 

 

 

 

 

苦しみも全力で甘受し、楽しみも全力で感受すること。

 

苦しみのパラメータと楽しみのパラメータがあったとして、どちらも多く育成すること。

それを行えば、取り敢えずは間違いはないと思います。

それが僕の出した一時的な答えです。

 

 

ここまで読んでくださってありがとうございました。

趣味や取り柄なんてないのが普通だということを分かってない奴が多すぎる

死に起きです。

あなたには趣味がありますか?

僕はありません。

人に聞かれた時は月並みに「読書」とか言うんですが、最近はほとんど読まなくなって趣味と呼んでいいのかどうかわからなくなっております。

 

趣味って、結構ハードル高いですよね。

 

継続的にやっておかなければ、趣味と呼ぶことは出来ない。

趣味と呼ぶものをキープするためにちょっと不本意ながらもそれを続ける。

自分の意図でやっているのではない。趣味の見えざるパワーに依って自分が動かされている。

 

そういうのって、多分結構あるよ。

 

 

僕は就活の時に趣味特技の欄で物凄く困ったタチだ。

書けないでしょ。酒飲みながらゲームやアニメ鑑賞なんて。

アニメ鑑賞だって趣味って言うほど見てないというのに。

 

履歴書の趣味は更にハードルが高い。

低俗なものは趣味と呼ばないという圧力がある。

 

『趣味を作って、有意義に人生を生きなさい』

 

現代において、趣味は随分と求められるものになった。

 

 

 

 

 

◆元々趣味なんて大したものじゃない

 

僕はアイドルマスターが好きです。

中でも安部菜々と藤本里奈が好きです。

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以前の記事で

 

go-to-heaven.hatenadiary.com

 

「好きな理由は明確にしなければならない」と書いたので、何故この二人が好きなのか、この二人の魅力は一体何なのかを語るのはまた今度にしようと思いますが…

 

 

 

このアイドルマスターというゲームに登場するアイドルたちには、みんな趣味があります。

資格取得、ピアノ、バレエ、天体観測、ボランティアなどの社会的印象の良いものから、

読書、音楽鑑賞など月並みなもの。

ネコと会話なんていうよくわからないものまであります。

 

しかしやはり全体的に見て、普通なのが多いんですよ。

友達と長電話とか、ショッピングとか、犬の散歩とか…普通でしょ。

 

それを見て気が付きました。

履歴書自信持ってに書ける趣味を持っている人などそうそういない。

 

本来趣味なんて人に評価をもらうためにやるものじゃない。

自分がただやりたいからやっているものなのであって、そこを判断基準にされると「じゃあ無理にでも意識の高い趣味を就活だけのためにやるか?」という話なのである。

それは趣味じゃなくて勉強だ。

 

ここのあたり、やはり就活だ歪んでいる気がしてならない。

 

 

 

 

 

 

◆そもそも趣味なんてものはない

 

かなり前にやってたホンマでっかTVの話なのですが、天海祐希さんがゲストとして来ていた回がありました。

 

彼女の悩みは、「休みの日に何をしていいかがわからない」。

趣味が一切なく、仕事が楽しい分休みにするべきことが全くわからないという。

 

 

これに対し環境学者の武田先生の話したことがとても印象的でした。

 

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武田先生

「元々休みの日っていうのはね、昔から有るわけではないんですよ。江戸時代なんか休みはない」

キリスト教で日曜日というものが存在していて、それが日本に入ってきたことによって日本も休むようになっただけで、元々は休みなんてなかったんですよ」

「だから『休みの日に何やるか』なんて思い浮かばないのが普通なんです」

 

さんまさん

「僕らは趣味があるんですけど、天海さんのように趣味がない方がいいんですか?」

 

武田先生

「趣味はないのが普通なんです。趣味があるのは日本くらい」

「日本人の趣味の考え方っていうのはね、『努力して何かを身につけてやる』ってもんでしょ。」

「例えば、『ジャズが趣味の人』は趣味でジャズを聞きに行く。でも海外の人は『別にジャズが趣味なわけではないけれど、楽しそうだから行く』んだよね。」

「趣味を極める人ってのは30人に1人くらいのものであって、みんなが趣味を持たなきゃいけないなんてのはないんですね。

 

「これには非常に苦しんでいる人が多いんです。あなたにはなにか取り柄があるんですか?とか聞かれたら、そりゃ『自分には取り柄がなきゃいけない』って考えてしまうわけです。

取り柄なんてない人のほうが多いのに。

 

さんまさん

「日本人は無理に趣味をつくろうとし過ぎなんだ」

 

 

趣味がない人間には、とても心やすらぐお話です。

 

 

 

 

 

◆休みの日は休むもの

 

武田先生に続き、池田先生もこれに言及。

 

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テレンス先生

「趣味が逆にストレスになってる人も多いですよ。お金のかかる仕事になっちゃってる」

 

磯野貴理子

「池田先生の虫集め(池田先生は大の虫収集家)もそんな感じですか?」

 

 池田先生

「趣味は自分の楽しみでやってる分には良いんだけど、それが義務になっちゃうとしんどくなるよね。」

「で、休みの日に何していいかわからないなんて悩みは贅沢極まりないよね。普通の人はそんなことじゃあ悩まないわけで、休みの日は休むんですよ。

「朝から晩まで働いているサラリーマンが『明日は休みだずっと寝てられうぞ!』っていうのを楽しみにするものなんですよ」

 

つまり統合すると、趣味はないのが普通、休みは休め。 ということなんですね。

 

 

 

 

◆それでも不安な人は修行すればいい

 

とはいっても、やはり何かをしなければならないという漠然とした不安感に苛まれている人はいると思います。

僕は今は好き勝手生きてますが、このままでいいのかどうか寝る前くらいにちょっと思います(多分ダメ)。

 

だからそういう人は、趣味ではなく修行と読んで行動した方がいいですね。

趣味と言ってはダメです。

何故ならそう言ってしまうから「趣味は極め無くてはならない」という誤解が生まれてしまったのでそれを防ぐためと、それから「苦しみを先に覚悟することが出来る」ということ。

 

まあ仕事あって修行するっていうのはかなり身の負担になるとは思うのですが…そこまで成長したいならって話です。

 

 

 

◆まとめ

 

武田先生と池田先生が言ったように、無理に趣味を作るというのはやはり歪んでいるところがあると思います。

取り柄なんてないのが普通。

就活で面接しても取り立ててなんもないように見えるのが普通です。

志望動機だって大したものがないのが普通。

 

しかしそれでも、人事は特別性を求め続けるのだろうな。

 

どうにもおかしなシステムだが、まああまり気負いしなくていいっていう話でした。

人生って成長しなきゃいけないの?

死に起きです。

記事書く度に口調が敬語になったり険しくなったりするのは一旦置いておいて下さい。色々試しながらやっていこうと思っておりますので…

 

 

さて、僕は意識が低いです。

具体的に言うと、成長をする気が全くと言っていいほどありません。

 

なんで?とよく聞かれますが、逆になんで?って感じですよ。

成長は生半可な思いではすることが出来ません。大抵は苦しみを伴い、行動を伴い、気力体力の消費を伴います。

そんなことを、何故わざわざやるの?

 

 以前こんな記事を書きました。

言いたいことは、僕は虚無主義だということです。

どうせ死ぬのに、何故生きる?使命は?生きる意味は?

どこの本にもその答えは書いていないので、結局は自分が勝手に決めたことに従うしかない。

 

であれば、何故わざわざ苦しむ必要があろうか。

成長など放棄して、気楽に生きたほうが幸福に近づくのではないか。

 

こちらのサイトでは、そのようなことが詳しくかつ分かりやすく書かれています。

 

多分これから語る内容はこちらのサイトの何処かにかかれていると思うので、それも分かりやすくかかれていると思うので、この先を読む必要は無いかもしれませんが、

 

それでも書きます。

人生に成長は不可欠なのでしょうか。

 

 

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やりたいことがないということ

世の大人は子供に「自分のやりたいことを精一杯やれ」と言うが、やりたいことが見つからない人間にとってこれほど辛い言葉はない。

そもそも「子供はほっとけばやりたいこと勝手に見つけるだろう」という大人の怠慢が垣間見える一言でもある。

家庭は食事を提供するだけの場で、学校は学問を学ぶだけの場所。

人生において大事な考え方や精神というのは一体どこで学べば良いのやら。

 

僕も、間もなく大学を卒業するというのに未だに自分のやりたいことが見つかっていない人間である。

内定を得て意気揚々と社会に出て行く人間はみんなやりたいことを見つけているのだろう。

よくもまあ自己分析と企業研究がすんなり行くものだ。

僕はそれらをやっていくたび頭がこんがらがって何をすれば良いかわからなくなったというのに。

就活する前のほうが色々と定まっていたと思う。

 

 

 

◆会社=実業団

 

僕の中には 仕事=やりたいこと でなければならないという考えがあった。

それがなければ会社に失礼だと思ったし、僕自身活躍できる気がしなかったからだ。

 

会社は「スポーツの実業団」に例えると理解しやすい。

もし自分が選手として実業団に所属しているとしたら、まずのそのスポーツが好きでなくては話にならない。

嫌々そのスポーツを続けていても決して試合で勝つことは出来ないし、そもそも練習の時点で監督とかコーチとか先輩にボコボコにされることだろう。

 

だから僕は、正社員にはならなかった。

内定が取れなかったのだから、なれなかったと言ったほうが正しいのだろうか。

どの実業団のトライアウトにも合格することができなかった。

好きでもない種目のスポーツなのだから、受かるはずもない。

 

こうして、やりたいことがわからない無欲な役立たずになってしまったというわけだ。