Who likes not his business, his business likes not him.
人生の意味を考えることが止まらない死に起きです。
まあこっちでもちょっと話したんですが
もし僕が正社員なら、こんなに人生について考えるなんてしなかっただろうさ。
今まで…中学から高校に上がる時、高校から大学に上がる時、何も考えなかったからだ。
多分レールに乗ってるうちは、「本当にいいのか?」という疑念が過ぎらないのだろう。
これからは、「みんながそうしていた」というレールから外れ、社会的に愚かな道を歩くことになる。
さてじゃあ、どうして僕がこっちの道を選んだのか、まずそこから書くとしよう。
◆楽しくなければ負ける
僕は今まで部活で卓球、空手、バレーボールとやってきたが、僕はスポーツが嫌いなのだ。
毎日放課後の部活のことを考えると憂鬱で仕方がなかった。
なんとかサボる理由を探して、ろくに練習に身など入らなかった。
辞められるものなら辞めたかったが、道具を買うのに金を使ったので色々勿体無くて出来なかったというのと、僕よりも早く何人も辞めていったので今更後に引けなくなったということがある。
当然のごとく、技術など身につけられなかった。
大学でバレー部に入ってもそれは変わらず、どうにか楽しもうとも考えたがやはり心に根付いた怠惰という呪いはそう簡単には解くことは出来なかった。
それでも、辛いことを耐えれば精神的に成長できるし、きっとこれが正しいのだと自分に言い聞かせていた。
ある時、他大の選手と話す機会があった。
その子は大学からバレーボールを始め、上達のために地元のクラブチームに通っているという。
実は僕と全く同じ境遇だった。
僕も嫌だと思いながらも上手くなるためクラブチームに世話になっていた。
しかしその子のクラブチームは僕のところと違い、かなりガチらしい。
強豪大のOBもいるそうで、いつもどやされているという。
「それじゃあ、きっと辛いだろう」とその子を慰めてあげたのだけど
「いや、でもスゴイ楽しいんですよ!」
そう言った。
その時、僕は心の底から敗北感を味わったんだ。
バレーの技術とかそういう話じゃなく・・・
人生で勝てない。
魂で勝てない。
僕と彼の人間的価値、あるいは人生の価値を秤にかけた場合、間違いなく僕は空高くふっとばされるだろうと思った。
そしてバレーの技術でももちろん勝てなかった。
思い知らされた。
「僕が苦しんで苦しんでやることを、彼は笑顔のままサラリとやってのけるんだな。」
「多分俺はこのまま嫌なことを渋々やって生きていくとしたら、間違いなく一度も勝つことが出来ない人生になるだろう。」
これは僕が就活中の軸になった考えだった。
好きこそものの上手なれという諺は、英語だと
「 Who likes not his business, his business likes not him.(自分の仕事を好きじゃない者は、仕事からも愛されない)」
それならもう、自分が魅力的な仕事だと思わなければそこに行く必要などまるで無いではないか。
そう考えた結果、今に至る。
「仕事やり始めれば、やっていくうちに好きになるよ!」
という人もいるだろう。
だがそもそも面接の時点で笑顔で「めっちゃその仕事したいです!」って(思ってなくても)言える人じゃなきゃ入れないんだからどうしようもない。
そして大学のバレー部の先輩は二人既に辞めたということを昨日知った。
正社員になったって安心することは出来ねぇな・・・