天国へ行く為に。

天国は死ぬことと見つけたり。

2022-07-26 日記 1日目

日記を始める。

習慣化はどれだけ打ち込むかではなくとにかくハードルを下げることが有効らしい。

下限値ではなく逆に上限値を設けると続くとか。

 

今している仕事はいくら働こうが全く辛くないが、自分の技量不足に辛さを感じている。

もっと休日も勉強できたら良いのにと思う。

この日記はそれができるいい人間になるための一歩目である。

日記を書くのは良い習慣らしい

一年ぶりです どうも死に起きです。

 

 

一年前やけになって記事を書いていたようですね。ほぼ記憶に無いですが、自分の文章というのは読み返してみるとまるで別人で面白い。このとき酔っていたというのもあるが。

 

 

そしてなんと嬉しいことにコメントをくれる人がいる。

どこからこんな記事を見つけてきてくれたのだろう?ツイッターでくるリプライとは違いコメント主の温かい気持ちがすごく伝わってくる。とても嬉しい。

 

それを読んだのは一年後の今なのだが…コメントくれた方本当にありがとうございます。コメント返さずすみません。

 

 

 

さて、なんで急にブログに戻ってきたのか。

またメンタルがブレる事があったのか。

 

 

実は何もないです。それなりに頑張って仕事して生きています。

 

 

戻ってきたのは、なんでもない。日記は良い習慣だと聞いたからです。

まじでそれだけ。この一年のこととかも書きたいけど、やはり文章を書くというのは大変なことだなぁと毎回ここにもどってくるたび思うのです。長い記事書いている人とかすごいな。

 

 

前回の記事を読むと分かる通り、僕はもうすぐ30になるにも関わらず幼稚な精神をしています。

正直仕事でもうまくやって行けているか自信がありません。

自信がないなら休日でも仕事の勉強をすればいいですが、怠惰な僕はそれもできません。

 

だから仕事とか関係なく、そもそもまともな人間になることから始めようと思いました。

 

少しでも良い習慣を毎日できたら少しずつ変われるかも。あるいは変われないかも。

でもまあやってみようと。

 

 

日記のサービスを調べてみたけど、そういえばブログあったわってことで戻ってきたわけですね。

 

おわかりの通りつまらない記事になります。だって日記だし。

 

ハードルをめちゃめちゃ低くするため、超短い日記でもとりあえず書こうと思います。コメントは多分返さないですが読みます。コメント返ししようとすると多分やめちゃいそうだから…

 

 

 

 

本日もここまで読んでいただきありがとうございました。

 

今までそんな事は考えたこともなかったけど、結局僕の思う一番の幸せとは、パパとママとおにいちゃんとみんなで一生老いずに光の中で生き続けることなのかもしれない(気持ち悪いコンプレックス注意)

バラは私の母の腕、バラは夏の暖かさ、バラは明るく照らされた電車の中に座っていて、電車は暗い雷雨の中を突き抜けていく…

 

誰もいない部屋においてある一つの受信機。

数年ほど置かれているが、こいつが何かを受信することは滅多に無い。

ただ、ごくたまーに、何かの拍子で受信することがある。

前回受信したのは2019年の12月だったかー……

 

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みたいなもんだね、このブログも。

 

僕は文を書くというのは普段全くしていないので、ブログを書くということ自体も当然少なくなるのだが、こうやってふとした瞬間に戻ってきたりする…

 

立派なおとなになるためには、しっかり文章も書けたほうがいいのだろうけど。

 

 

 

死に起きです。死に起きたわけでもなく、ただ死なずに生きておりました。

なんだかんだ過去の記事というのは見ていて面白いものですね。

 

最後に記事を書いたのは…そうか、動画編集の仕事をやめざるを得なくなって、3DCGの勉強を始めだした頃か。

懐かしい。あれはあれで幸せな時間だった。

いつもそうだな。当時はそうはあまり感じなかったのに、今思うととても幸せだったのだと気づく。

ノスタルジイ。その感傷に浸ること自体は余り嫌いではない。

だがいい大人のする趣味ではないな。そろそろ辞めにしなきゃね。

 

 

 

 

今はその勉強の甲斐あって、一ヶ月前から3DCGのモデラーとして働いています。

派遣社員だけどね。

 

28歳にして初めてフリーターを脱却。

派遣社員として週5、8時間勤務を人生で初めてやっています。

おっそいよなぁ。

友達はみんな給料がどんどん上がって結婚しだしている頃だというのに、僕は今がペーペーで下積みの時代。

 

おまけに一人暮らしも初めてで、これが予想外の事が多くて結構しんどい。

契約期間が終わったら更新せずに実家に帰ろうと思ってます。一人暮らし自体はまたするかもだけど、ここに居続ける気はサラサラ無いな…。

 

 

ということで、まあ現況報告でひと記事書くのも一興だけど、今回も僕の思考の整理のためにここを使わせてもらう。

 

 

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○子供の頃へ。

 

 

新生活で一気に環境は変わった。

こういう時、例えば地方から上京してきた新卒のひととかは、一人暮らしも辛くて、友達もいなくて、仕事は辛くてもう家を引き払って帰りたいって考えになる人は、毎年一定数いるはずだ。

 

もしそれで帰っちゃうと、引越し費用とか親の期待とか借金とか新卒カードとか色々ダメージ受けちゃって、自分が情けなくなって泣いちゃったりするよね。

新生活ってギャンブルがすぎるんだよね。

ただでさえ就職がギャンブルなのに、そこに新住居のリスクとか重なるとむしろ失敗のほうが多くなるんじゃ無かろうかと思う。

 

 

僕の場合はとても幸運なことに、仕事に対しての苦しみというものが全くと言っていいほどない。

人と環境にものすごく恵まれている。

プレッシャーはあるが、これはクリエイターとして仕事をする以上むしろ必要なものだと思っている。(派遣切りは死ぬほど怖いが)

 

だが僕は住居選びの方で失敗した感がある。

狭すぎてPCのデスクの下で寝るような生活。

料理なんてさせる気のないキッチン。

本当にPCと寝るだけの部屋。

これは結構なトレスにはなっている。

 

僕はもともと全然働いていなかったので、金にかなりシビアに考えた結果こうなった。

第一候補の物件が合ったのだが、仲介業者の手違いで他のやつに取られた。クソが。

 

そもそも不動産関係の人間はどうにも信用したくない。

仲介業者も管理会社も地主も全てだ。

 

人が住むのにこんなに金を払わなくてはならないのか。チクショウ。当たり前だと思っていてもやはり実家に比べて圧倒的にランクが下がったのでそれなりの辛さは感じている。

 

 

だが引っ越してきてとてもいいことがあった。

故郷が恋しくなったのだ。

 

つまり、母親、父親、兄弟、または角の先が想像できる見慣れた風景、代わり映えのない飲食店、地元民しか使わないスーパー、なんの仕事しているんだかわからない会社…

それらが一気にとても大切な存在に思えた。

 

うん、一人暮らしはじめた人間がみんな思うやつだ。特別なことじゃない。

 

僕は、マジの僕は一生知らない土地に行きたくない人間なんだ。

つまり、見知った人と、なんでもない日々を、平和にずっと暮らしていければそれでいいじゃないか。

コンビニバイトのフリーターだって良かったんだ。ホームセンターのバイトでも良かった。

未来なんてない仕事だったとしても、家族みんなでずっと暮らしていければそれで良かったじゃないか。

親は心配するかも。喧嘩もしたかも。でも兄には子供が生まれて、それから親はとても幸せそうになった。

親の人生は孫が生まれたおかげで新しく始まった。もう僕ら子供をどうこうする時期は終わりを告げたのだ。

それなら僕が地元のコンビニでずっと働いていたって、たまに孫が来て一緒にあやして生きていくだけでも幸せだったじゃないか。

 

ここまでして東京に出てくる必要性なんて果たしてあったのか?

 

 

 

僕はずっと前から天国に行きたいと思っていた。このブログのタイトルはその現れでもある。

 

天国は何の不安もない楽園だ。一緒にいたい人と一生、いや死ぬことなく永遠にそこにいられる。

こんなことは実家にいたときは考えてもいなかったのに、一人暮らしを始めてからそのビジョンがとても強くなってしまった。

 

「CGを上手く作れるようになって海外に行く」という夢もある。

と同時に、「向上せずに家族でずっと生きていく」という夢も微かにできてしまったのだ。

 

本当にこんなことは考えてなかった。

…いや、思い返せばその片鱗はあったかもしれない。

 

大学に向かう時、あるいはバイトに出かける時、その道すがらで草むしりをしているおじいさん。

街の職員なのか?詳しいことは知らない。

でも晴れた日にあんな感じで、地元を綺麗にするために仕事をして生きていけるなら、なんて幸せなのだろうと考えていたことはあった。

 

まあ僕がそのおじいさんくらいの歳になったら、もう家族はいないのかもしれないけど。

 

 

 

えっと、結局僕は、故郷の街が好きなんだ。これは住んでてもずっと思ってた。

そして家を出たら、家族も好きだったことに気がついたんだ。

嫌いなところもあるかもだけど、そんなのは別にあったところで差し支えないような話で…

 

 

天気のいいお日様の下で、光の中で、みんなでお出かけして生きていきたいだなんて、こんな歳になってまだ思っている、この絶望がわかるか?

 

書いてて自分が情けなくて泣きながら書いているよ。

 

言っておくが、土日に実家に帰って家族に会いたいとか、そんな話ではないんだ。

僕はPCがないと生きていけない存在なんだが、実家に行ったら当然僕のPCがないので、多分それはそれで辛い。

わざわざ会って話したいとかじゃない。

 

一番いいのは、やっぱり実家にPCがあって、仕事はちゃんとして、それが終わったら一緒に御飯を食べて少し話をしたり、掃除したり洗濯したり、そういう何気ない時間を共有するのが一番丁度いいんだと思う。

 

わざわざ一日使って会いに行って話すことは特にないんだ。

それならCGや英語の勉強をしたいと思ってしまう。

実家に帰って勉強をするのも何のために帰ったのかわからなくなる。

 

だから、最初っから一緒に住んでいるのが丁度いいんだと思うんだよ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

子供の頃に戻りたいんだ。

 

そんなことみんな一度だって考えただろう?

 

何の不安だってなかったんだ。

 

ゲームなんてなんであんなに楽しかったんだろう?

 

嫌がってた勉強だって、今ならちゃんとやるよ。

 

明日だってちゃんと早起きするから。

 

だから、みんなで映画でも見に行こうよ。買い物でもいいよ。

 

僕、いっぱい荷物持つよ。

 

お昼はみんなでフードコートに行くんだよ。びっくりドンキーもいいね。

 

帰ってきたら順番にお風呂に入って、牛乳を飲みながらテレビを見るんだよ。

 

それからね、それから・・・・・・・

 

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・・・はっ

 

しまった。過去への羨望が強すぎて、書いているうちに精神が幼児化してしまった。

 

ギャグのように書いているつもりで、手の上は涙でびしょ濡れである。

 

文章を書くのはメンタルに効くとはよく言うが。

自分の思いは文字にしても声にしても、一緒に感情が出てくるものだ。

 

 

 

うん、勘違いしないでほしいのは、僕は今の生活がめっちゃ辛いわけではないのだ。

むしろ思っているより心臓が痛くなくて(僕は辛いことがあると昔から心臓が痛くなる)、拍子抜けしているところもある。

28年実家だったんだ、正直もっと辛くてダメージを受けるかと思っていた。

 

 

それでも実家と故郷への憧憬は消えない。

僕はどれだけ幸せでも死にたいと思うだろうし、子供に戻りたいと思うだろう。もはや病気と言ってもいい。

 

 

…本当に病気かもな。

 

 

 

誘惑は常にそこにあり、常に素晴らしいものだ。私も夜中に目を覚ましたまま横になり、あらゆる後悔と、犯してきたあらゆる過ちのことを考えることがある。
幾つかの悪夢と引き換えに、私は自分の罪を洗い流してもう一度人生をやり直すことができるかもしれない。

 

私の終わりは私の始まりになる。



そんなことを試そうなどと思うな。
 
(中略)
 

過去の自分へと逆行し、人生をやり直す。誰でも一度は考えたことがあるだろう、あの時に戻れたらと。
だが、それを実行してしまえばどうなる? 

「今」の自分が「あの時」の自分を殺す。「あの時」の自分が思い描き、抱いていた全てのものは、「今」の自分にとって代わられる。
「あの時」の自分を知っていた人々の中から、「あの時」の自分がいなくなる。「あの時」の自分の皮を被った「今」の自分になる。

それは、「今」の自分の完全なる否定、これまで歩んできた道のり、「今」の自分を愛して支えてくれた人々を無に帰すことに他ならない。


やり直しのきく物語を人生とは呼ばない。


今ここにいる自分は、今ここにいるたった一人だけだ。


これでも十分でないというなら、覚えておくがいい。バラ園が与える快適さは非現実的なものだ。真実からの逃避だ。
我々は皆、物事が暖かく単純で、夏の太陽と冷たい草に満たされていた日々に戻りたいと思っている。

我々は皆、もう一度光の中で暮らしたいと思っている。

だが我々は皆、選択をして、誓いを立てたのだ。

 

(中略)

 

我々は一人残らず暗闇の中で死んでゆく。



それを、受け入れろ。



O5-▮

 

https://w.atwiki.jp/aniwotawiki/pages/41745.html

 

またいつかお会いしましょう。

 

とりあえずTwitterのアカウント載せます

こんにちは。

 

何というわけではないのですが…

 

今まで自己紹介文にTwitterのアカウント書いてましたよね。

一応ブログ用に作成したやつなのですが、もう一切ログインしていないしパスワードも忘れちゃったのでもうメインのTwitterアカウント載せてしまいますね。

 

まあファイアーエムブレムヒーローズの話ばかりしてるんですが…

 

日常のつぶやきも普通にしているのでよければフォローしてくださいね。

 

 

https://twitter.com/Positive_Mask

生きています。

こんにちはというべきか

 

久しぶりというべきか

 

戻ってきましたというべきか

 

始まりの言葉は見つかりませんが

 

ともかく私は生きています。

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本当に久しぶりにはてなブログを開きました。

私はブログの読者でもないのでそもそも開く機会はほぼないんですよね。

 

ちょこちょこGmailの方にコメントの通知とか来ているのを見て、ふと見てこようと思った次第です。

みなさんコメント誠にありがとうございます。

 

ブログって放置しているだけでもちょこちょこ見に来られる方いらっしゃるんですねぇ。

 

当初は就活の嫌さから逃れたいからとか、ニートになって何をすればいいかわからないからとりあえずなにか文章でも書いてみるかとか考えて始めましたが、

こんな長いスパンでコメントを貰えるようになるとは思わなかったです。

 

 

 

本当は色々書きたいこともあるんですがーー今私が何を経てどうしているかとかーー

まああまり時間もかけられないので軽くにしておきます。

忙しいわけではないです。

 

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●無免ライダーについて

 

一番コメントされている記事は、無免ライダーのやつでしたね。

 

go-to-heaven.hatenadiary.com

 

 

書いた当時はそこそこ書きたいことかけたなぁとか思ってたんですけど、今見ると色々見づらいですね。今になって改善したかと言われれば、別にそれを仕事にしたりしているわけでもないので何も変わってはないですが。

 

コメントも軽く見ました。やっぱり反感を買うことのほうが多かったですね。

 

なんで当時僕は無免ライダーのことを嫌っていたのか今になって考えると、

多分、弱いのに人から認められているのが嫌だったんですね。

 

僕も弱者で、人より頑張っていた、ような気がする、いややっぱりそんなことはなかったかもしれない…が、どちらにせよ人から認められることはなかった。

あったかもしれないが、心底誇れるようなことはなかった。

無免ライダーのように、人から応援され、人から喝采を受け、よくやったと讃えられることはなかった。

でも彼は弱いじゃないか。弱いのになんで讃えられるんだ。それなら僕も讃えてくれたっていいじゃないか。

そんな感じだと思います。 

 

もちろん彼は日々努力しているのでしょうし、勇気を振り絞りましたし、優しさも持ち合わせているので、実際には僕とは天と地の程の差があるのでしょうけど。

ワンパンマンは今も読んでいます。

 

主将ミズキほんとすき。

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●就活について

就活の記事でも少しコメントは見られました。

やはり就活に疑問を感じてここに来る方もいらっしゃるんでしょうか。

 

僕も当時は答えを求めて検索していたことがありました。

安心してください。未だに僕は新卒の就活が嫌いです。

あの空気感といいますか、就活ビジネスやってるやつとか全員セロテープがきれいに貼れない呪いにかかればいいのに。

 

就活セミナーとかたまにTwitterでみたりすると軽くため息が出る。

僕は一生そんなものに世話になることはないだろうが、不安を感じてともかく答えをほしいがために餌にされる大卒生たちを思うと不憫でならない。

 

今の就活のシステムを壊して新しいシステムを構築しよう!とも思うが、すまない、僕にそんなやる気はない…

僕にできるのはそういうものに目をくれず、一銭も落とさず無視することだけだ。

 

 

じゃあ今の僕はどうなのかって?

端的に言うと、未だに社員になったことがありません。

ずっとアルバイターです。

そして今は学生もやってます。

 

大卒でニートになったあと、ホームセンターでバイトして、動画編集のバイトに移って、また次のバイトでも動画編集をして、今は学生で倉庫でアルバイトしています。

 

学生になったのはかなり最近です。2ヶ月前くらい。

3DCGの勉強をはじめました。

 

もともとはそんな3DCGをやろうとか考えてませんでした。

一個前のバイトで動画編集をやっているときは、めちゃくちゃ楽で、このまましばらくは動画編集しながら筋トレでもしていようと思ったのですが、僕のいた部署がなくなってしまいまして。

まあいずれなくなるだろうとはずっと思っていたんですが…

その会社に残ることも選択肢としては会ったんですが、その頃会社でクリエイターサークル見たいのがありまして、そこで3DCGを少し勉強してたら結構楽しくなり、じゃあそっちを目指そうと言うことで学生になりました。

 

会社の人からは「まだ若いんだから」と言われましたが、正直ちゃんとした社会人経験が一度もないので、余裕かましちゃあいられないなとは思っています。

使用ソフトはMaya、ZbrushSubstance painter、Unreal Engine4でやってます。

いずれ3DCGの記事とかも書くようになるのかなぁ。

 

 

・・・つまりまだ就活はこの先にあるわけで、そこでまた嫌になったりするのではないか、と思われるかもしれませんが、そこは正直不安はありません。

これからの就活は、新卒のあの頃の就活とは違います。

3DCGの就活は技術での勝負です。

つまりポートフォリオでどれだけのものが作れるかを示せれば、あとはよほど人間性が破綻していない限りは大丈夫だと思ってます。

やる気、人間力、自己PR…僕が苦しんだそういう曖昧でヨクワカラナイモノからは解放されている就活ができるはずなんです。そうでしょ?

 

逆に言えば技術が全てになるので、技術がなければ終わりです。

なのでこれからどれだけ制作できるかが鍵になります。

 

学生とは言え、そんな長くはやりません。1年より短いです。

学費も自分で払うので、2年も通えませんから。

 

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あらら、なんかおもったよりいっぱい書いちゃいましたね。

まあ他のブロガーの方と比べればめちゃ短いんですが、僕にしてはよく書きました。

 

今までの記事のコメントも返してなくてすみません。すこしずつ返していこうと思います。

 

 

 

私は生きています。

 

 

ここまで読んでくださって本当にありがとうございました。

悩んでいたあの頃と悩まなくなった今は一体何が違うだろう。

記事を書くのは1年ぶりと少し…ですか。

 

こんにちは。死に起きです。

 

もう全然記事更新してないのに、過去の記事に共感してコメントしてくださる方もいて、本当にありがたく、同時に驚いています。(コメントまだ返してなくてすみません記事書き終わったらすぐ返信します)

 

ネット上に自分の悩みの答えがあるのではないかととにかく検索しまくることってありますよね。

僕もそうでしたし、こんなほっっそぼそと書かれた記事に来るということはコメントくださった方もそうだったのではないでしょうか。

 

誰かが共感してくれたということは、僕も共感できたということ。

記事を書いていた当時の僕にこんな優しいコメントが届くことを教えたら、きっと救われたことでしょう。

 

 

 

 

急な記事の更新ですが、特に理由はありません。

ただ、コメント貰って自分の記事を読み返してみてこう思ったんです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

うわあ俺すげぇいっぱい文字書いてる

 

 

 

 

 

 

いや他の人の記事とか見るとこんなの足元にも及ばないくらい大量に書いてるんですけど、

実は僕最近全然文字書かなくなったんですよ。

 

いやもともとあまり発信とかするタイプではないんだけど、最近は本当にそれが顕著。

仕事上そうなっちゃうって言ってもいいのかな。

 

 

僕は今動画編集のバイトをやっています。

といってもテレビみたいにいっぱいテロップ出したりとかはなく、本当に簡単な仕事で、正直これでお金もらえてるのはありがたいとしかいいようがないです。

なので編集中も文字を打たず、メールなどもほとんどないです。

周りとの意思疎通は軽く口頭で伝えて終わり。

故にそこまで論理的に組み立てる必要もなく、正しい言葉遣いもほぼ使っていない…

 

 

 

…なんというか、就活のときは哲学書読んだり、悩んで悩んで、ウンウン唸って、

頭の中に文字列がバーっと駆け抜けていって眠れないときとかもあったのに。

 

 

 

今ではなんだか、考えることが減ってきたように感じるんです。

 

 

 

 

 

◆考えてないから、感動してない。

 

 

例えばですね、以前こんな記事を書きました。

 

go-to-heaven.hatenadiary.com

 

 

………………(再読中…)

 

 

 

結構面白いなこの記事!!(自画自賛

 

 

 

この記事を書いたときの僕はPADSにかかってたのかなぁ?ダンガンロンパやったのはもっと前の話だったと思うけど…

 

PADS(アニメに限らず作品が終わったあとに感じる喪失感をこう呼ぶことにする)にかかるってことは、結構深くまでその作品に浸かってる必要があるんだよね。

 

映画とかは短すぎるからPADSにはなりづらい。

長編漫画の一気読みや、ストーリー性のあるゲームなどが引き起こしやすい。

 

 

んで、さっきふとこう思ったんですよ。

最近PADSになってないなぁ って。

 

 

きっかけは最近僕がハマってるこのゲームのせいですね。

 

fire-emblem-heroes.com

 

 

僕はファイアーエムブレムが大好きでして。

一時期飽きたこともありましたが今ではデレステをアンインストールしてこちらをやりまくる始末。

っていうか今日のニンダイ、ファイアーエムブレム風花雪月の情報なかったんですけど??????

 

 

このゲーム、ゲーム性がすごく好きなんですよ!

簡単に説明すると狭いマス目のチェスみたいな感じで、駒それぞれがスキルを持っててそれを利用して戦うというものです。

 

ただね、まあ今日もアップデートされて新ストーリー追加されたんですけど、

 

 

ストーリー全然面白くなかったです。

 

 

いや、わかってます。

このゲームはあくまでゲーム性に重きを置いている。

ストーリーはあくまでおまけみたいなもので、無料のゲームにそこまで求めるのはあまりに酷すぎると。

 

でも、ストーリー見たあと思っちゃったんです。

つまんなかったなぁって。

 

僕、ストーリー見て「つまんなかったなぁ」って、なかなか思わないですよ。

ゲーム性に飽きてすぐアンインストールするゲームは数あれど、ストーリーでこう思ったって、僕の中ではなかなか衝撃で。

別に特別何が悪いってわけじゃなかったんですけどね。

だからゲームを貶めることは言いません。そもそも好きなゲームだし。

 

 

でもこの感想から、「PADSになってねぇなぁ、なりてぇなぁ」って思ったんです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◆思ってるよりも言葉から遠ざかっていた自分に気づく。

 

僕にとって、感動というのは物語です。 物語とは、文章で構成されるものです。

つまり最近感動してないってことは、文章に触れてないってことなんです。

 

 

正直全然自覚がありませんでした。

 

でも考えてみれば、僕は空き時間にCGの勉強をしているのですが、CGの制作に文章って入りませんし、

英語の勉強もしているけれど、それも簡単な英語をすぐに言えるようにする練習をしているだけなので文章に触れているとは言い難いかなと…。

あとは週5で筋トレしてますけど、まあ筋トレしてるときは何も考えてないので言わずもがな。

 

 

そしてめっきり本も読まなくなりました…

テレビで林修先生やメンタリストのDaigoが読書の素晴らしさを語っているのを見ると、すごく申し訳ない気持ちになってしまう…。

 

 

そんな感じであまりにも文章に触れてない自分にびっくりして、「ちょっと久しぶりに文章を書いてみようかな」なんて気持ちで久しぶりに記事を更新したというわけです。

 

でもぶっちゃけここまで書いて、相当構成めちゃくちゃだなって思ってます。

 

あーでもやっぱり文を書くって頭使うなぁ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◆今の僕は、あの頃ほど悩まなくなりました。

 

 

 

コメントをくださった方は、こんな記事を見て失望したかもしれません。

 

みなさんの共感は「思慮している僕」に対してされているように思えたので、

『最近は考えなくなっちゃいました、めっちゃ筋トレしてます』なんて言われたら

「あのとき悩んでたお前は何やってん!!!」ってなりますもんね。

 

 

でも正直に言うと、僕はあの頃からだいぶ変わってしまいました。

この先の人生を、あまり悩まなくなってしまいました。

 

 

「とりあえずこれをやって生きていこう」と思えるもの、なんとなくであっても、僕はそれを見つけてしまったからです。

 

 

さっきも言いましたが、僕は動画編集の仕事をしていて、合間にCGの勉強もしています。

できることなら、映像業界でやっていきたいと思っています。

正社員として映像業界に揉まれるでもなく、独学でやっているだけなのでやる気としては褒められるところまで言っていないかもしれませんが、

もうこうなってしまうと後戻りできないので、これをやるしかないんです。

 

僕は今25です。

若いとは言えなくなってきました。

でも、もう遅いとも嘆くほど諦めきれる年でもないんです。

 

 

 

僕は確かな決意があってこの道を選んだわけではありません。

 

就活失敗してニートになったとき、たまたまコラ画像を作って遊んでて、

じゃあPhotoshop使う仕事なんかどうかななんて軽い思いでバイト応募して、

そこで初めてPhotoshopとPremiere(動画編集ソフト)触って、

数ヶ月して辛くなって辞めて、

今の会社に入って、

一年ほど経ちました。

 

なんとなく流れていたら、こっちに島が見えるな、たどり着けるかわからないけど他の島より近いから泳いでいってみようかな、みたいな感じなのです。

 

 

 

CG制作のために新しいパソコンを買いました。

高い買い物でしたが、後悔は何一つしませんでした。

 

パソコンを買ってから金がほしいと思わなくなりました。

パソコンが手に入ったので、もうこの他に必要なものなど衣食住代だけだと思いました。

もとからインドアでしたが、勉強のためにもっと出かけなくなりました。

 

 

 

悩まなくなったということは、正しい道を見つけたということではありません。

数多の選択肢の中から、「これはどうかな…?」と少し手を伸ばし、「とりあえず今はこれをやるしかないか」と多少の諦めと共に歩き出したということです。

 

それに、全く悩まなくなったわけではありません。

何度か振り返ることはあります。

 

あの道を選んでいたらどうなっていただろう、もっといい人間になれたかな。

もっと家族を幸せにできたかな、なんて。

 

 

「後悔するな」「過去を振り返るな」

こんな言葉をよく聞きますが、僕はそんなことは無理だと思いますし、別にいいんですよ。

 

たまに振り返りましょう。そしてその都度諦めましょう。

諦めきれなければ引き返しましょう。そこまで行って引き返せる勇気があるのならきっと出来ます。

 

 

 

哲学本ももうあまり読んでないですが、かといって哲学から完全に離れる気はさらさらないですよ。

 

今でも生きる意味は考えます。

別に筋トレや映像制作が生きる意味だとも一切思ってないです。

 

 

でも、続けられるものができたなら続けてみよう。

少なくともこれらによって損することはないだろうと思うから。

 

 

 

 

なんだかよくわからない終わり方ですみません。

また何か批判でも共感でもコメントいただければ幸いです。

 

 

ちなみに東京オリンピック終わったらすべてを投げ出して海外に行こうと思ってます。

口だけで終わるかもしれないけどね。

でも「所詮この世は只の夢」っていう考えは………ああ、それはあの頃と変わってないですね。

 

良かった。

 

 

 

ここまで読んでいただきありがとうございました。

 

 

 

胡蝶の夢 - Wikipedia

 

水槽の脳 - Wikipedia

 

邯鄲の枕 - Wikipedia

 

洞窟の比喩 - Wikipedia

死んだ人間は喜ばないし悲しまない。

葬儀というのは、やる意味があるのかあまりわからない。

 

まず、なんであんなに悲しみを誘うような演出をするのか。

 

儀式は区切りをつけ、前に進むためのものとはいうが、むしろ儀式のせいでダメージを受けている気がする。

前向きならもっと前向きな葬り方があるのではないか?

 

 

次に、死んだあとでいきなり悔やむってのも筋が通らない。
それなら生きている間にもっと色々できたはずだ。
正直、僕は祖父と祖母に孝行なんてしていなかった。そんな僕が死んだあとでいきなり偲ぶなんてのも虫のいい話じゃあないか。

 

仮に祖父、祖母がこの先10年生きていたとして、どれだけの時間会ったというのだろう。会ったとて、うちどれほどが自発的に会いに行ったものだろう。
今とそう変わらなかったのではないだろうか。なのに死んで偲ぶのか?なんて欺瞞だ。

 

知っている人の死体をわざわざ見たくない。
次の祖母の葬式は出たくない。葬式でお別れしなきゃ悲しむなんて、だったらお別れする前に会えばいいだろう。

 

僕は当たり前のことだと思ってるのだが、死ねば意識なんてない。そうだろう?

死んでからも話せば伝わるっていう考えをなぜみんな持てるんだ?それはただの自己満足に過ぎないか?


つまりやるべきことの先送りにほかならなくないか…?

 

 

死んだ人間は喜ばないし悲しまない。

感情があるのは生者だけだ。

 

 

それをなぜか勘違いしているから、生きている間に大事なことを伝えない。

物事はシンプルに考えるべきだ。唯物主義の思考こそが的確な行動を作り出す。

 

 

「常々… 逆だと思っていたんだ…

通夜のことさ

死んでからみんなにワラワラワラワラ集まってもらったって 死んだ当人には何が何やらわからぬ

せっかく集まってもらうなら 死ぬ前だ……!

死ぬ前に会い… 話があるなら… 話しておくべきだ……!」

「天 天和通りの快男児」 赤木しげる

 

 

仮に、死ぬ前に会って話したとて、僕は故人の喜ぶような話はできなかっただろう。
なぜなら大抵の大人は社会的価値を最重要視するからだ。正社員で働いてるとか、婚約したとか。

僕にはそういう浮いた話が何一つない。
話せばむしろ失望させるだけだったろう。

 

そうなると僕のできる孝行とは、もはや嘘しかない。
「正社員でバリバリ稼いでるよ!」
「この前旅行に行ってきてさ!」
「すっごく可愛い彼女がいてさ!今度結婚するんだ!」

ああ、もう、想像しただけで情けなくなってくる。

僕は僕の生きたいように生きているが、それによって親や祖父母を喜ばせることはできない。

 

…いや、そもそも行きたいとおりに生きていけてもないのかもしれない。

 

こんだけ葬儀ディスっておいて、前まで葬儀屋で働こうと思ってたなんて、笑わせる。

 

 

 

家族の中では最も不孝者になるかもしれない。儒学(特に孟子)の教え的には最悪である。

悪いとは思う。すまないとも思っている。

 

しかしそれでも、謝りたくはない。

謝る気持ちで自分の道を優先したくはない。

 

そこは毅い気持ちで僕の意志を優先する。

もちろん、余裕があれば周りにも目を向ける。

できることなら周りを皆幸せにできれば最善だろう。

 

 

それでもやっぱり。

行きたいように行かせてくれ。

生きたいように生かせてくれ。

逝きたいように逝かせてくれ。

 

それがきっと、すべての人の願いだろう。